荀子

荀子 抄 不苟第三

荀子 抄 不苟第三 16.一・二章 ●君子は、行いに苟も難きことを貴ばず、説に苟も察なることを貴ばず、名に苟も伝わることを貴ばず、唯其の当るを貴しと為すのみ ●君子は知り易きも狎れ難く、懼れしめ易きも脅し難し ●患(害)を畏るるも而も義に死することを…

荀子 抄 修身第二

荀子 抄 修身第二 9.一章 ●我を非として当る者は吾が師なり。我を是として当る者は吾が友なり。我に諂諛する者は吾が賊なり 10.二・三章 ●凡そ血気・志意・知慮を用うるに、禮に由れば則ち治通するも、禮に由らざれば則ち勃乱提慢す ●人に禮なければ則ち生き…

荀子 抄 勧学第一

前置き 荀子を正名篇序盤までなんとか現代語訳したが、その前の解蔽編辺りから、暑くなって集中力が出なかったことと、力不足によって現代語訳することが困難となってしまった。 しかし、この力不足とは、文学・学術的なものだけで補えるものではない。修身…

159.荀子 現代語訳 正名第二十二 一章

一章 後王(現代に最も近い理想的な王)の成名(成した名前)について 刑の名は商(殷)に従い、爵の名は周に従い、文の名は礼に従って、散名であるその他の万物に付けられる名前は各地方の風習に従いながらも、遠方異族のものとも全く違うものとはならない…

158.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 十一・二章

十一章 おおよそ、人が何かを知りたいと思うような自然な性情を用いれば、物の理を知ることができる。何かを知りたいと思うような自然な性情を用いて、物の理を知ることを求めながら、その上でも、疑いが止まるところ(落ち着くところ、確信できるところ)が…

157.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 九・十章

九章 洞窟の中に人がいて、その名をキュウ(角及)と言う。この人は、遠いことや見えないことについて当てることを好んでそのことについて思慮をめぐらした。耳や目の欲望に心が動揺すれば思慮の邪魔となり、アブやブヨの音でさえ聞こえればその精密さは挫か…

156.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 八章

八章 心というものは、姿形や声の君であり、神明(精神を明らかにしておくため)の主である。命令を出すことはあっても、命令を受けるということはない。自ら禁じて自ら使って自ら奪って自ら取って自ら止まる。 だから、口はおびやかせば黙らせることもでき…

155.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 七章

七章 人は何によって道を知るのだろうか。 答えて、心である。 では、心は何によって道を知るのだろうか。 答えて、心が、虚・壱・静であることによって道を知ることができる。 心は、いつも何かを蔵している。(心は奥底に何かを秘めていし、心の見えたり感…

154.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 五・六章

五章 昔、遊説を行っている食客のうちでも特に蔽われていたのが、諸子百家がそれである。 墨子は実用に蔽われて文飾を知らず、 宋子は寡欲主義に蔽われて得ることを知らず、 慎子は法に蔽われて賢いということを知らず、 申子は権勢のことに蔽われて知ること…

153.荀子 現代語訳 解蔽論第二十一 一〜四章

解蔽論第二十一 一章 そもそも、人の患いというものは、一局に蔽われて大理に暗いことである。治めれば大理に復することができて、両(ふたつ)ならば疑惑することになる。天下に二道はなく聖人に両心(ふたごころ)はない。 今、諸侯は別々の異なった政治を…

152.荀子 現代語訳 楽論第二十 二〜四章

二章 声楽の形、ありさまについて。 太鼓は大きくて多くの音を引きつけ、鐘の音は充実していて、石を叩いてならす木琴のようなケイはきっぱりと正しく、竹管を組み合わせたウショウは和音が取れていて、笛は激しく、低音の笛はゆるやかで大らかであり、瑟の…

151.荀子 現代語訳 楽論第二十 一章-後

音楽が人の心にしみこむのは速くて深く、その人を感化するのも速やかである。だから、先王は慎重に謹んでこの音楽を文飾した。音楽が中平であれば民衆は和して流れることはなく、音楽が厳粛で荘厳であるならば民衆は整って乱れることがない。 民衆が和してい…

法と禮の関係について

法と禮(礼)は同じものなのか、違うものなのか、ということで、いろいろ研究らしきことをしていたのだけど、この二つのものの違いが分かった。 つまり、法は禮の一部分でしかない。ということである。 現在の法で規制できることは、あくまで行動などだけで…

150.荀子 現代語訳 楽論第二十 一章-前

楽論(音楽に関する論)第二十 一章 楽(音楽)というものは楽(楽しみ)である。人情が必ず免れないものである。つまり、人には楽しみがないというわけにはいかないし、楽しめばそれは必ず声に出たり行動に現れるのである。このために、人の道は、この音声…

149.荀子 現代語訳 禮論第十九 十五・六章

十五章 三か月のかりもがり(死者を埋葬しない期間)があるのはどうしてか。 答えて、それは死と死者を尊んで重んずるからである。今まで貴んでいた所、今まで親しんでいた所であったこの死者を、これから動かして移し、家から離れて丘に帰そうとするのであ…

148.荀子 現代語訳 禮論第十九 十三・四章

十三章 三年の喪とはどういったものか。 答えて、情とつり合いをとって文(かざり)を立て、そのことによって人間関係を飾り、親疎と貴賤の節操を弁別して、損益がないようにするものである。この故に、無適不易の術(他に適当な方法は無くかわることのない…

147.荀子 現代語訳 禮論第十九 十二章

十二章 喪禮とは、生者によって死者を飾るものである。だから、大いに生きていることにかたどることによってその死を送るのである。だから、死んでいるかのようであり、生きているかのようであり、存在しているかのようであり、亡くなっているかのようであっ…

146.荀子 現代語訳 禮論第十九 十・十一章

十章 禮というものは、長を絶って短を継ぎ、余分を損して不足を増し、愛敬の文を達して、いよいよ義を行うことの美を成すものである。 だから、文飾することと粗野で生地のままであること、音楽の儀式とと泣き叫ぶ儀式、恬愉(おだやかで愉快であること)と…

145.荀子 現代語訳 禮論第十九 八・九章

八章 禮というものは、吉凶(得失)の分別を謹んで、その得失の両方を覆わないものである。 わたを鼻に押し当てて息があるかどうか聴くとき、忠臣や孝子はただその病であることだけを知って、納棺する準備や死装束の準備をしたりはしない。涙を流して畏れお…

144.荀子 現代語訳 禮論第十九 七章

七章 禮というものは生死を治めることを謹むものである。生は人の始まりであり死は人の終わりである。始終をともに善くすることができて人の道は尽くされる。この故に君子は、始めを敬して(大事にして)終わりを慎み、始終があたかも一つであるかのようであ…

143.荀子 現代語訳 禮論第十九 五・六章

五章 禮の理は誠に深い、堅白同異の察(堅くて白い石は、堅いことと白いことは同じことであるとか、堅いことと白いことで分かれているとかの詭弁)もここに入り込めばすぐに溺れてしまう。その理は誠に大きい、自分勝手に典籍を作る偏った世間知らずの説もこ…

142.荀子 現代語訳 禮論第十九 二〜四編

二章 禮には三つの本がある。 天地は生の本であり、先祖は類(人類)の本であり、君師は治の本である。 天地が無ければどうして生きることができようか、先祖が無ければどうしてこの世に出ることができようか、君師が無ければどうして治まることがあろうか。…

141.荀子 現代語訳 禮論第十九 一章

禮論第十九(禮は礼の旧字体、礼が何であるか、この旧字体の方がうまく象形していると思ったので、特にこの礼のことを明らかにする禮論では、敢えてこの禮という字を用いることにした) 一章 禮はどのようにして起こったのだろうか? 答えて、人は生まれなが…

140.荀子 現代語訳 正論第十八 八〜十章

八章 宋先生(子宋子)は、「侮られることは恥とするに足らないことを明らかにできれば、人を争わせないようにできる。人は皆な、侮られることを恥とするから争う。だから、侮られることが恥じるほどのことでないと知るのならば、争わなくなるのだ」と言う。…

139.荀子 現代語訳 正論第十八 六・七章

六章 世間で説を展開する者の中には、堯や舜は教化することができなかったと言って、それがどうしてかと問うてみれば、朱や象(彼ら自身の子弟)すら教化できなかったではないか、と言うけれど、これはそうではない。 堯や舜なる者は、至って天下を善く教化…

138.荀子 現代語訳 正論第十八 五章

五章 世間で論説を展開している者の中には、堯や舜は禅譲したのだと言う者がある。 しかし、これはそうではない。天子という者はその位は至って尊いもので天下に比肩する者はない。そうれなのにどうやって譲ろうと言うのか。道徳が純粋に備わっていて智慮は…

137.荀子 現代語訳 正論第十八 第三・四章

三章 世間で論説を展開している者の中には、治まっていた古の時代は肉刑(実際の体罰)はなくて、象刑(体罰をかたどった刑罰)しかなかったと言う。刺青の刑では、ただ黒い布を被るだけであったし、はなそぎの刑では冠の紐をさらし布にするだけであったし、…

136.荀子 現代語訳 正論第十八 二章

二章 世間で説を展開している人は、このように言う。桀王と紂王は天下を保っていたのに、湯王と武王はこれを簒奪したのだと。 しかし、これはそうではない。桀王や紂王が、嘗ては天子の位に居たということはその通りである。そして、自分では天子の位に居た…

135.荀子 現代語訳 正論第十八 一章

正論第十八 一章 世俗の論者は「君主というのは、周密であるのがいい」と言う。(周密:本来は緻密であまねくに行き渡るという意味であるけど、限られた人間の力で、全き緻密を保てる範囲は当然狭くなる。だから、君主が周密であろうとすると、側近や家族と…

134.荀子 現代語訳 天論第十七 十〜十四章

十章 天に在るもののうちで日月より明らかなものはなく、地に在るもののうちで水火より明らかなものはなく、物として在るもののうちで珠玉より明らかなものはなく、人に在るもののうちで礼義より明らかなものはない。 だから、日月は高くなければその光の輝…