153.荀子 現代語訳 解蔽論第二十一 一〜四章

解蔽論第二十一

一章

 そもそも、人の患いというものは、一局に蔽われて大理に暗いことである。治めれば大理に復することができて、両(ふたつ)ならば疑惑することになる。天下に二道はなく聖人に両心(ふたごころ)はない。

 今、諸侯は別々の異なった政治を行って、諸子百家はそれぞれ異なった説を唱えている。ということは、必ずあるものは是であってあるものは非であり、あるものは治であってあるものは乱であるということになる。

 乱国の君主や乱家の人も、その誠心から正しいことを求めて、自分のためにいろいろとしているのだけど、自分の踏んでいる道以外の多くの道に嫉妬して、自分の道の方が優れている部分を見つけてはそこに誘い出され、自分の踏み重ねてきた道にこだわって、その自分の道が悪く言われることをただただ恐れ、自分がこだわっている道によりすがって、別の道を観てはそれが良く言われることをただただ恐れる。

 こうして、治道に背き走りながら、しかも自分を是としてそれをやめることがない。どうして一局に蔽われているのに、正しいことを求めることができようか。心を、こういったことに使わないならば、白と黒が目の前にあっても目はこれを見分けることができず、雷や太鼓の音が鳴っていてもこれが耳に聞こえない、ましてや蔽われている者において聡明になることなどできようか。

 しかし、道を得た人というのは、上では乱国の君に否定されて、下では乱家の人に否定される。これを哀しまないでおられようか。

二章

 蔽(おおい)をしているものは何であろうか。

 欲は蔽いをして嫌悪は蔽いをする。始めは蔽いをして終わりは蔽いをする。遠いことは蔽いをして近いことは蔽いをする。博識は蔽いをして浅識も蔽いをする。古(いにしえ)は蔽いをして今は蔽いをする。

 おおよそ、万物が別れて異なれば、互いに蔽いをすることになるのである。これは心術の公患(心が何かに向くとその反対側が見えなくなる病気)というものである。

三章

 昔、人の君主として蔽われていた者は、桀王と紂王がこれであった。桀王は、末喜と斯観に蔽われて関竜逢を知らず、そうして心を迷わしてその行いは乱れることとなった。紂王は、姐己と飛廉に蔽われて微子啓を知らず、そうして心を迷わしてその行いは乱れることとなった。こうして、群臣は忠心を棄てて私事に務めるようになり、百姓は怨んで憤るばかりで働かなくなり、賢良の人は退去して隠遁した。これが九州の地を失って、開祖の建てた国とお社を虚しくしてしまった原因である。

 桀王は歴山で死んで、紂王はその首を武王の赤旗にかかげられたのだが、自分ではこれを予見することもできなかったし、こうなるぞと諌めてくれる人も居なかった。これが蔽塞の禍である。

 殷の湯王は夏の桀王のことを鏡として自分に引き当てて考え、この故に、その心を守って慎重に治めることをした。だから、長くしっかりと伊尹を用いて自分自身も道を失うことがなかった。だから夏王朝に代わって九州を受けたのである。

 周の文王は殷の紂王のことを鏡として自分に引き当てて考え、この故に、その心を守って慎重に治めることをした。だから、長くしっかりと太公望呂尚を用いて自分自身も道を失うことがなかった。だから殷王朝に代わって九州を受けたのである。

 こうして遠方の諸侯も珍しいものを持参するようになり、目は多くのものを視て、耳は多くのものを聴いて、口は多くのものを味わって、体は居心地のよい宮殿に居り、名声は備わり、生きているときは天下の人が歌い、死ねば四海のひとがすすり泣いた。こういったことを至盛と言う。詩経に「鳳凰がはらはらと舞う その翼は盾のごとくに その声はかの笛のようで 鳳凰鳳凰 帝の心を楽しませる」とあるのは、この蔽われていないことの福のことである。

四章

 昔、人の臣下で蔽われていた者は、唐オウとケイ斉がこれであった。唐オウは権力を欲することに蔽われて載子を追放して、ケイ斉は国を欲することに蔽われて申生を冤罪にして、結局、唐オウは宋に一家もろとも滅ぼされ、ケイ斉は晋に一家もろもと滅ぼされた。

 賢い大臣を追い払って、あるいは孝行の兄を冤罪にして、自分自身は一家もろとも滅ぼされてしまった。そうであるけれど、自分がどうしてそうなったのか、自分の何が悪かったのかは、最後まで分からない。これが蔽塞の禍である。だから、貪吝(貪ることとケチなこと)背反(裏切ることと無闇に背くこと)争権(権力を争うこと)をして、危険に陥って辱めを受けない者は、昔から今に至るまで、いまだかつて居ないのである。

 鮑叔とネイ戚とシツ朋とは、仁知であって蔽われることがなかった、だから管仲をしっかりと支えて、名利福禄は管仲に等しいものであった。また、召公と太公望呂尚も仁知であって蔽われることがなかった。だから、周公をしっかりと支えて、名利福禄は周公に等しいものであった。

 言い伝えには、「賢者を知ることを明と言って、賢者を助けることを才能と言う。勉めて励むのならば福は必ず長いものとなる」とあるが、それはこのことを言ったのである。これが蔽われていないことの福である。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■多くの人は、蔽われないことを、「良いと思われることにこだわること」と勘違いしていると思う。あくまでも言うが、「良いと思われていること」と「良いこと」は似ているけど違う。そして、多くの人が、「良いと思われそうなこと」や「良いと思われること」を「良いこと」と勘違いしているのである。ここで荀子の言う蔽われないこととは、自分を疑い切ることである。疑うとは疑惑することではない。自分の道が私偏して偏ったものでないか疑うことである。もしも、自分が信じたり信念としていることに対して、悪い部分やマイナスの部分も常に見つけることができるのなら、それは蔽われていないことに近いであろう。少なくとも、自分が信じたり信念としていることが、全てにおいて良いものだと思っているうちは、蔽われているのである。

■禮論、楽論と、少し単語などが難しくて、かなりやる気が低下していたけど、ここにきてかなりやる気が回復した。