2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
十六章 傷国とは何であろうか。 答えて曰く、つまらない人間を人の上に立てて威勢を与え、道理からかけ離れたやり方で民衆から取りあげては騙そうとする、これこそが国を傷つける大災というものである。 大国の君主であっても、目先の小利ばかりを好んでいれ…
十五章 国を治めている者が、百姓の力を借りることができるなら富み、百姓が死を厭わないようになれば強く、百姓から栄誉を讃えられれば栄える。(国を用いる者にして、百姓の力を得る者は富み、百姓の死を得る者は強く、百姓の誉を得る者は栄ゆ)この三徳が…
状況にもよるけど、賭けというのは、基本的に余裕のある者がすることである。 まず、賭けという言葉の定義をしなければなるまい。 賭けとは、成功すれば間違いなく利益が得られることがあるものの、それが成功する確率が比較的低い場合に、損失を被る覚悟で…
十三章 治国というものは、既に人それぞれの分限というものが定まっているのであって、首相から臣下百姓にいたるまでが、各々自分の聞くべきことを慎み選んでまだ聞いていないことを聴こうとはぜず、各々自分の見るべきことを慎み選んでまだ見ていないことを…
十二章 上は下の者を愛さないということはなく、さらに下の人を制するためには礼を用いて、上が下に接する態度は赤子に臨むかのようである。政令や制度を施行して下の人である百姓に接する要点は、筋に合わないことや理に適わないことが、髪の毛の先ほどでも…
十一章 国であるならば治法というものがあり、国であるならば乱法というものがある。国であるならば賢士が居るし、国であるならば能なしの士も居る。国であるならば素直で正直な民衆が居るし、国であるならば乱暴な民衆が居る。国であるならば美しい習慣があ…
十章 その貴いことは天子となって、富は天下を保有するほどであり、名声は聖王とまでうたわれて、この上で人を制して人に制せられることがないようにと思うような事は、人情として誰しも同じく欲するところのことである。そして、王者こそが、これを実現する…
八章 百里四方の土地が有れば天下を取ることができるとは、決してうわごとではない。この王道を実現するにおいて最も難しいことは、君主がこの王道を知ることにこそあるのだ。 そもそも、天下を取るとは、土地を全て所有して民衆を従わせるということではな…
七章 だから、国を治めることには道があり、君主たる者にはそれに相応しい仕事がある。こまごました政治の事務処理を連日続けて、一日で詳細まで分けるようなことは、役人たちにやらせるべきことである。こういった仕事は、君主の余暇と楽しみの時間を減らす…
六章 国が危ない状態にあるならば、安心して楽しむことのできる君主などあるはずがなく、国が安心できる状態にあるならば、憂えて落ち込む君主など居るはずがない。ところで、国が乱れているとき国は危ない状態なのであり、国が治まっているとき国は安心でき…
妄想にはいろいろ種類があることが分かってきた。 妄想にはいろいろな種類があるけれど、それら全ての妄想の原因は、願望として間違いないだろう。以下、私の知る範囲で妄想を分類しながら、それが願望を原因としていることを解説し、妄想について本質的にま…
三章 彼の国を保持するということは、独力でできるようなことではない。そうであるならば、国の強さと堅固さと国の栄辱というものは、宰相の選び方にあるのだ。 自分自身も能力者で宰相も能力者であるならば、このような者は王者となることができるだろう。…
二章 国は天下の大器というべきものである。この大器のために善い場所を選んで、そうしてからこれをそこに置かなければならない、険しい場所にそれを置けば危険にさらされることとなる。次にはこの大器のために善い道を選んで、その道を通らなければならない…
徳の至りに達するほどでなく、義も平定されたわけではないものの、天下の道理が集まっていて、刑罰と賞、認可や禁止令といったようなものが天下で信じられるものであり、臣下は皆な信じて約束を交わすことをためらわず、政令が発せられた後ならば、そのこと…
王覇第十一 国というものは天下に利益をもたらすためのものであり、君主というものは天下の利益を促すためのものである。(国なる者は天下の利用なり。人主なる者は天下の利勢なり) 君主が正しい道理にのっとって国を治めるのならば、大安であり大栄であり…
十二章 国家を保持する上での難しいことと易しいこと。 強暴の国に仕えることは難しく、強暴の国を自分に仕えさせることは簡単である。 もしも、この強暴の国に財貨の貢物をすることで仕えるのならば、財貨が無くなるばかりで安定した国交が開けることはない…
百善簿をつけるということで、付け始めてみたのだけど、やはりなかなか難しい。 というのも、やはり、実生活において自分の行動にほとんど気を配っていなかったからである。 それはともかくとして、善と悪のものさしを少しだけ決めることをした。 私の智恵で…
広瀬淡窓という名前を目にして、知らなかったので、wikiで調べてみて、その中身を読んで驚愕した。 広瀬淡窓 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%B7%A1%E7%AA%93 以下wikiから引用 >> 淡窓は嘉永6年(1853年)から 晩年まで万善簿(まん…
十一章 だいたい、人を攻める者というのは、名声のためにするのでなければ、利益のためにするのであり、そのいずれでもないならば怒りによって攻めることをするのである。 仁人が国を治めるならば、普段の心持を修めて、身行を正し、礼義を極めて高いものと…
十章 国の強弱と貧富を観るには、その徴候というものがある。 上が礼を尊ばないのなら兵は弱く、上が民衆を愛さないのならば兵は弱く、拒否や許諾が信用できないようなものならば兵は弱く、表彰や報償が出ないようならば兵は弱く、将軍や指揮官に能力がない…
最近、少し前に買った、英語版の聖書、Contemporaly English Versionの、Proverbsの部分を読んでいるのだけど、結構な頻度でcommon senseという言葉が出てくる。 common senseというと、「常識」という邦訳が一番有名であるのだけど、どうもそれだけではない…
八章 民衆に目に見える利益を与えることをしないで民衆を利益のために動かそうとすることは、民衆に目に見える利益を与えてから民衆を利益のために動かすことの利益が多いことには及ばない。民衆を愛することをしないで民衆を使おうとすることは、民衆を愛し…
七章 だから、教えることもしないで罰することをしていたら、刑が増えるばかりで悪いことが減ることはなく、教えていても罰することをしないと、ずるい民衆はこりずに悪事を行う。しかし、罰を行っても賞を与えなかったら、勤勉な民衆でも勉めることはない。…
なぜ為替があるのか分かってしまった。と言っても、経済学では当たり前の事なのかもしれない。しかし、私にとっては大発見であった。 私は、為替というものに、今日まですごい疑問を抱いていた。なぜなら、これほど不公平なものはないからである。例えば、私…
荀子は、人気がないみたいだ。 ブログの訪問者数が減って行っているのでよくわかる。 ガックスィ〜という感じだけど、あれほど良い書物もないしなぁ。とも思う。あと、荀子自体が超長編であることも問題だと思う。その他にも、毎日少しずつアップしていくと…
荀子を読んでいると、礼義と礼楽という言葉がよく出てくる。 ちなみに、礼義と礼儀は違うものである。礼儀とは、義に人偏がついていることからも分かるように、人が行うことであり、礼儀というと、形式的な作法や儀式のことを意味しているのである。 だから…
六章 事業をすることをやめて民衆を養い、民衆を懐けて従わせてバラマキ政治を行い、冬の日には温かいおかゆを作って、夏の日には瓜と麦粥を与えて、しばらくの間だけ誉れをかすめ取ろうというのは、盗みの道というものである。このような施しを行えば、確か…
だから、先王や聖人はこういった無闇な質素倹約はしない。人の上に立つ者が粗末な格好をしているようでは民衆を一つにすることはできず、真の富たる智恵が厚くなければ下々を管轄することはできず、威風がなくて力もないならば強暴なことを禁じて暴虐の人に…
天下の皆で心配するべき様な心配事は乱れて傷つけられることである。どうして、天下を乱れさせる元となっている者が誰なのか、皆で共に考えようとしないのか。 私が思うには、墨子の音楽を非とすることなどは天下を乱すことであるし、墨子の質素倹約などは天…
五章 墨子の言葉によると、おおっぴらに天下のために物がたりていないことを心配しているのだけど(墨子は質素倹約と兼愛を旨としていた)、ものが足りないというのは、皆で心配するほどのことではない。これは、墨子の勘違いと思い込みによる過剰な心配とい…