賭けとは余裕のある者がすること

状況にもよるけど、賭けというのは、基本的に余裕のある者がすることである。

まず、賭けという言葉の定義をしなければなるまい。

賭けとは、成功すれば間違いなく利益が得られることがあるものの、それが成功する確率が比較的低い場合に、損失を被る覚悟でそのことに手を付けること。と言えるだろう。

つまり、賭けには、3つのファクターがある。

1.利益・結果
2.成功率
3.損失・(労力)

である。

このうちで賭けと言われるために必要なことは、

1.利益・結果が比較的多くいこと
2.成功率が八割以下であること
3.取り返しのつかない損失・(労力)があること

この反証をすると、

1.利益・結果が比較的多くなかったら、それは「賭け」でなくて「骨折り・気狂いの行動」と言われる。
2.成功率が八割以上で期待できるなら、それは「賭け」でなくて「計画」と言われる。
3.損失・(労力)がなかったら、それは「賭け」でなくて「幸運・僥倖」と言われる。また、損失・(労力)があっても、それが後で挽回可能であったり直接的なものでないならば、それは「賭け」でなくて「挑戦」と言われるし、損失が労力だけである場合も「挑戦」と言われる。

こういったわけであるから、多くを持てる者がこれらの条件に当てはまることをすれば、それは賭けの行動に出た、ということができるだろう。

では本題に移ろう。こういったわけで「賭け」には必ず損失が伴うわけで、また、この損失を覚悟した時だけが「賭け」であると言えるわけである。だから、損失覚悟である以上は、その損失を受けなければならない可能性がそこそこ高い確率であるのであって、この損失を受けとめるだけの余力が必要なのである。この余力がないのに、賭けをするならば、それで失敗したとき、間違いなく大きく破滅に近付くわけである。少し言い方を変えると、逆に、この賭けの損失を受けるだけの全体があるならば、この賭けは計画の一部でしかないと言える。