エッセイ

明日は我が身

新聞の県版のところには、事件・事故の記事がある。 記事になっているのは、軽犯罪・火事・飲酒運転・自動車事故だ。 事件事故の起きた住所と、関係者の名前及び年齢が書かれている。 軽犯罪であると、万引きの記事もある。 私の記憶では2000円の万引きでも…

文盲であることの例え

私の世代くらいまでは、文盲な人のことを「あいつは自分の名前も書けない」とか、「住所が漢字で書けない」と言うような慣習があると思う。 もっとも、冗談交じりの皮肉ではあるが。 それで、ここからが本題なのだけど、ここまでではない文盲な人のことを、…

好悪と是非について

あまり気付いている人はいないのだけど、人の判断基準は、主に「好悪の感情」と「是非の理知」の二つの要素により成り立っている。 好悪というのは、好きか嫌いか、好ましいか厭わしいのか、快いのか不快なのかなどと言ったもので、喜怒哀楽の四情に並ぶもの…

請われなければ助けない

請われなければ助けない、とはどういったことか。 簡単に言ってしまえば、頼まれてもいないのに、誰かを助けてやるようなことはしない。ということだ。 問われなければ答えない、と同じとも言える。 私も以前は、問われなければ答えない、あるいは、請われな…

インターネットの当てこすりについて

今、ツイッターを見ていたら、ワタミの渡邉氏が、「前々回の都知事選で都知事に落選したのが実に残念です。私が都知事に当選していたら・・・」という旨の発言をしていた。 そういった発言をすること自体は、こういった人には普通にありえることで、なんとも…

賤しい人

昨日は寝付けなかったので、岩波文庫のブッダの言葉(スッタニパータ)を読んでいた。 多くの人は頭の回転が早い人を「賢い人」と言ったりするけれど、これは厳密に言えば少し違う、こういった人は「智者であるかもしれないが、賢者とは限らない」とするのが…

謙遜遠慮の利点

謙遜遠慮には数々の利点がある。というか、私の考えてみたところ、どのように考えても自分が得をすることしかない。 すべての場合について場合分けをして考えてみた。 まずは、君子たるべき人や、賢人として何の差支えもない人に対して、 1.謙遜遠慮の態度を…

宜なるかな

昨日、西郷隆盛の遺訓というのを読んでいたら、小人(つまらない人、取るに足らない人)は、開闢以来10人に7、8人と書いてあった。 つまり、話になる人が、10人中2、3にいれば、まあそんなもん、ということになる。私の経験からも、まあ、そんなもんと思う。…

あけましておめでとうございます

毎年恒例の四文字熟語抱負を今年も書いた。 今年は『三略』からとって「清静平整」ということにした。 「清く静かにして平らかに整う」ということで、 意味は、「心が清く澄んでいて静かであるならば、何事にも公平に対処でき全てのことが整い治まる」 とい…

ネトウヨ(と呼ばれそうな人たち)とフジと産経の謎

この記事⇒http://netgeek.biz/archives/62225 のお陰で謎が再燃してしまった。下の記事自体は数カ月前に書いたもの。もうかなり前のことになるのだけど(上に出した記事によって現在進行形になった)、ネット右翼が、さんざんにフジテレビをコケにしていた時…

ネットを仮想空間、別の世界と言うな

世の中には邪説が蔓延して正説は退けられ、人は偏向を好んで正直を遠ざけ、多くの人は悪魔に親しんで神を疎んじる。これは何も今に始まったことでなくて、荀子の時代からそうであるし、キリストや釈迦の時代から同じことである。だから、ここに正論を言うが…

【頭が良いとされる人とそうでない人の違い】

あくまでも私一個人の見解ですが、この両者の違いが生まれる原因は、二つのことしかありません。1.何度も同じことをしたか 2.そのことに興味を持っているかこの二つです。 1.何度も同じことをしたか あなたは昨日見たテレビ番組の内容を覚えているでしょうか…

このブログの目的について

このブログの目的は、私の拙い文章を発表することではありません。前々から記事にしているように、有志を集めるキッカケとするのが目的です。まとまった翻訳の記事などがあるのは、一人でも多くの人をこのブログに引き込むためです。パソコン版で見ると一番…

【お知らせ】無料の公開は順次廃止します(検討中)

無料での古典翻訳などの公開は、以下に説明する害の大きさを検討して、順次廃止することとした。なぜかと言うと、最後まで読まない、或いは、全部読まない人が多いからである。特に「荀子の性悪篇」だけを読む方がいらっしゃると、私の心はかなりチクチクす…

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします。明らかに知り誠を致す今の自分と物事の道理を明らかに知ることで、裏表なく構えずに物事に合致する「誠」を致すのならば、自ずと道が開け、今年も間違いなく良い年となります。出典は中庸です中庸 現代語訳作者: 平田圭吾発売日…

virus

昨日パソコンがウイルスに感染していたくさかった。 まず、私の場合だと、ホームページを開くソフトである「ブラウザ」を二種類使っている。 ひとつがマイクロソフトのインターネットエクスプローラー、それともうひとつがグーグルのクロームである。 それで…

とある県美術館の特別展

高いチケットを手に持って、仰々しいチケット切りゾーンを抜けると、そこには「落書き」が飾られていた。 「はずれか。だから県美術館なんだ。」あまりの期待はずれ感に、周りを見てみると、周りの人達はわりと熱心に絵を見入っていて、その行列は、流行った…

「かばんが盗まれた」

「かばんが盗まれた」 スーパーマーケットに居たぼくは、そんな言葉を耳にした。ぼくは驚いてそちらを見た。すると、80歳前後のおばあさんが、買い物カートの中を覗きこんでいた。 話は前後するけど、このスーパーマーケットは、うちの近所の激安スーパー。…

開放システムと閉鎖システム(人の行動原理に当てはめたとき)

http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20140317/1395037950前の記事を読んで頂いた方は、開放システムと閉鎖システムという言葉が、最低でも二種類の意味を持っていることを分かっていただけたと思う。それで、これらか私が述べることは、システム工学や複雑系な…

開放システムと閉鎖システム(コンピュータと生き物の決定的違い)

開放システムと閉鎖システム、この言葉の意味は、使う分野によってだいぶ異なるようである。社会学の分野で開放・閉鎖システムというと、例えば、アメリカのような自由移民「開放システム」形社会、とか、日本の江戸時代のような鎖国「閉鎖システム」形社会…

大便の便と不便の便

この「大便の便と不便の便」という言葉は、荀子の議兵編にある言葉である。 中国初の帝国を作り上げた始皇帝の名宰相である李斯と荀子の対話の中で、荀子が言う言葉である。もしかしたら、地位を得て絶頂のときの李斯が、師である荀子のところを訪れて、こん…

境地

人間には防衛本能が備わっている。 正確に言えば、その防衛本能は生を愛する性情から生まれる。 性情についてさらに正確に言えば、性は生まれ備わったものであり、生きていることによってまわりの環境に和合するために自然とそうなっているもののことである…

渋沢栄一の功績と富国三傑について

新渡戸稲造の武士道を読んでいて、改めて渋沢が日本に寄与した功績が大きいことに気がついた。 というのも、今でこそ、資本家層(商売人の親玉)は、ただそれだけで、つまり中身がなくても、名士として世間で認知されるのであるが、当時は、商売を営んでいる…

優良企業とは一体なんぞや

と思われる事件が起きた。ハローワークで職業相談をしたら、担当の人が、話の流れで、S市周辺の「優良企業ガイドブック(新卒者向け)」みたいなものを持ちだして来たのが話の発端である。そのパンフレットは、厚さにして五ミリくらい、全ページがカラーの豪…

ブラック企業のア○社長は単なるバ○

人を見下す言葉であるアホとバカの語源をご存じでしょうか? アホもバカも、中国の秦の始皇帝と関係があります。 始皇帝は、秦が中華統一を果たすと、自分の威厳を世に知らしめたいと思いました。そして、戦争で疲れきっていて、もう休みたいばっかりの農民…

文明と文化の違いについて

(二三年前の記事をまとめ直したので、微妙に一貫性がない内容になっている) まず、文化と文明と言うが、この語も結構曖昧であると思う。 よって、今ここでは、文化を感性に依存するものとして、文明は理智に依存するものとする。 文化とは例えば、アメリカ…

たまにはすぐに効果の出る話

骨盤健康法はかなりいい とてもいい とにかくいい 読者のみなさんにも健康な生活を送っていただきたいので、やり方も紹介します。私の体による実績は、体重が、93キロ→83キロになった、多分ウエストが、5〜10センチくらい減った、肩こり、腰痛にならなくなっ…

賭けとは余裕のある者がすること

状況にもよるけど、賭けというのは、基本的に余裕のある者がすることである。 まず、賭けという言葉の定義をしなければなるまい。 賭けとは、成功すれば間違いなく利益が得られることがあるものの、それが成功する確率が比較的低い場合に、損失を被る覚悟で…

万善簿について

広瀬淡窓という名前を目にして、知らなかったので、wikiで調べてみて、その中身を読んで驚愕した。 広瀬淡窓 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%B7%A1%E7%AA%93 以下wikiから引用 >> 淡窓は嘉永6年(1853年)から 晩年まで万善簿(まん…

礼義と礼楽について

荀子を読んでいると、礼義と礼楽という言葉がよく出てくる。 ちなみに、礼義と礼儀は違うものである。礼儀とは、義に人偏がついていることからも分かるように、人が行うことであり、礼儀というと、形式的な作法や儀式のことを意味しているのである。 だから…