政治家の人気と人物評価について

政治家という種類の人は、本来は、「人気」などという不確かなもので選ばれるべき人ではないと思うが、残念ながら、その「人気」によって選ばれているのが現状かと思う。

孫文の自伝で、孫文がかなり有名になったのは、多分「人気」があったのが理由だろうという分析をした。このことに気づいて以来、この「人気」というものの、不確かさに反比例するかのような影響力の大きさについて、非常な疑問や重要性を感じるようになった。

最近の人であると、小泉進次郎氏がかなり「人気」のある政治家であると思う。しかし、残念ながら、実力はイマイチで、大臣に任命したら、答弁ではかなりボロを出すものと思う。いろいろな憶測があるようだけど、彼が大臣にならないのは、このような理由が主であろうと思う。ここで大臣になったら、間違いなくとは言わないけど、かなりの確率で「人気」は急落してしまうだろう。

さて、その人気のある小泉氏であるが、父親は、今でも人気のある小泉純一郎元首相である。彼は、トリクルダウン理論(社会の上層が富裕となれば、中層下層にもその恩恵が及んで皆富裕となるという理論)に基づき、派遣法、年金、郵政民営化など、いろいろな改革を推し進めた人である。言うまでもないけれど、彼の及ぼした影響は、庶民にとってかなり悪いものであった。これはそのような結果が出たとして間違いないだろう。それにも関わらず、未だに人気があり、その息子まで人気があるのはなぜか。
正直なところ、私の人物評価から言わせてもらえば、小泉一家は、日本に悪影響を及ぼすことはあっても、善い影響を及ぼすことはないから、もはや人気があって良いはずもなく、さっさと政界から消えてほしいとすら思っている。

それなのに、「人物評価」ができない大衆は、イメージと印象による不確かな「人気」を頼りとして、彼らに期待していることになる。

一方で、3.11の大震災でいろいろ尽力し、一時とは言え、全原発を停止にした菅元首相の働きは評価に値する。しかし、残念ながら人気がない。人気がない理由は、氏が怒る姿を見せるのが原因であると思う。「国民のために怒っている」というアピールなのだと思うけど、怒る姿というのは、理由はどうあれ、人々から忌避されるものなのだ。これについては私も手痛い失敗をしたことがある。しかし、アダム・スミス道徳感情論で、この事実を理論的に諭され、やっと気づいたことだった。

また、野田前首相も、日本の放漫財政の責任を一手に引き受けて、消費税増税に踏み切った点は、ここ20年で一番評価できる政策だったと思う。尖閣諸島の国有化も英断としか言いようがない。つい最近では、天皇の退位について、始めは頑なに拒否し、譲歩しても、特例法にこだわる自民党に詰め寄り、陛下ご自身、また国民の意向を実現するように働きかけ、特例法に付帯法で制度の恒久化を取り付けた。陛下、また国民からすれば、これほどの功労者はいないだろう。それなのに、おそらくは、見た目もやることも地味であることから人気がない。もちろん、消費税の増税も人気のない理由だろうけど、これは、悪評を買って、日本の未来を少しでも救ったとしか言いようがない。少しでもと言うのは、安倍首相が自分の人気を落とさないために、これを延期してしまったからだ。

あと、小池都知事も人気があるようだけど、彼女に至ってはどこがいいのかすら全く見当もつかない。女性政治家への期待という時流のみによって、わずかばかりの間、人気があるに過ぎない人物ではないかと思う。ただ、かなり体力はおありのようで、演説など、いろいろなところに実際に行けたという点では、東京都で人気が出たのもうなずける。

歴史的人物でも、坂本龍馬はかなり人気がある。詳しく評伝などを読んだことはあるわけではないが、私は大した人物ではないと思う。概略だけ見れば、好き勝手やっていただけではないか。その点、彼よりも、西郷隆盛渋沢栄一福沢諭吉のほうが、現在の日本に及ぼした善い影響は多いだろうし、人物としても評価できる。しかし、坂本龍馬や、ただの自衛部隊であった新撰組への人気は高くても、ここに示したような人物、あるいは伝記にも残っていない真の功労者たちへの人気はほとんどない。

このようなことを言うと、上から目線だと叩かれるかもしれないが、ほんの少しでも「人物評価」ができる人は、ほとんどいないことになる。不確実でイメージの範疇を越えない「人気」というものが、この世の中の大半を支配しているのだ。また、この不確かな「人気」に期待してしまうのが人間の弱さということかもしれない。私も小泉一家にはさっさと消えてほしいと思いつつも、進次郎氏には善政を期待するところである。