102.荀子 現代語訳 王覇第十一 十三・四章

十三章

 治国というものは、既に人それぞれの分限というものが定まっているのであって、首相から臣下百姓にいたるまでが、各々自分の聞くべきことを慎み選んでまだ聞いていないことを聴こうとはぜず、各々自分の見るべきことを慎み選んでまだ見ていないことを視ようとはしない。

 聞くことと見ることが誠に整えられるならば、辺鄙な土地に住んで夢想や妄想を繰り返して幽かなことを好むような百姓でも、進んで自分の分限を大事にするようになって制度に安んじ、上によって感化されるのである。これが治国の徴というものである。

十四章

 君主たる者の道は、近いことを治めて遠いことを治めようとはせず、間違いない明らかなことだけを治めて幽かで闇にあることを治めようとはせず、一を治めて二を治めようとはしない。

 君主が近いことを治めることができるならば遠いことも理に適って、君主が間違いない明らかなことだけを治めれば幽かで闇にあることも透明化して、君主が一に当を得ることができれば百事も正される。かの天下のことを全て兼ね聴いているのに、時間に余裕があって仕事の方が少ないのはこのようにしているからである。これが治の極みというものである。

 既に近いことをしっかりと治めていて遠いことを治めようとし、既に間違いない明らかなことを治めていて幽かで闇にあることを見ようとし、既に一に当を得ていて百事を正そうとするならば、これらは「過ぎたる者」というものである。過ぎていることはなお及ばないようなもので、これを例えるならば、真っ直ぐな木を立ててから、その影だけ曲がっていることを求めるようなものである。

 近いことを治めることもできていないのに遠いことも治めようとし、間違いない明らかなことについて考察することもできないで幽かで闇にあるようなことを見ようとし、一に当を得ることもできないのに百事を正そうとするならば、これは「悖れる者」(道理から反り返って外れている者)である。これを例えるならば、曲がりくねった木を立ててから、その影だけ真っ直ぐであることを求めるようなものである。

 こういったわけで、明君は要(要点)だけを好むのだけど、暗君は詳(詳細)を好むのである。君主が要点だけを好めば百事も詳察されるのであるが、君主が詳細を好むようであると百事は荒むこととなる。

 君主というものは、一相を論じて、一法を並べて、一指を明らかにして、このようにして、全てを兼ね覆って、全てを兼ね明らかにして、その結果を観る者なのである。宰相というものは、役人の長を論じて任命し、百事について聴いたことを統括して、そうして、朝廷の臣下や役人の分限を整え、その功績を測って、その報償を論じ、年の終わりには成功されたところを君主に報告して、これが当たっていればよしとされ、当たっていなければ罷免される者なのである。だから、人の君主たる者は、良い宰相を探すことには労するのだけど、この宰相を使うことに及んではむしろ休むことができるのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■十三章については、「民は由らしむべし、知らしむべからず」という衆愚政治かと思われるような内容であるが、それは少し違う。分限とは、その知能の度合いや持っている技術も含めたものなのであり、この分限に適っているうちは、農夫が政治を考えても、商人が宗教を布教しても、職人が哲学をしても、何の問題もないのである。このように、人それぞれがやりたいことがやれる社会、自己実現の叶う社会こそ、儒者の求める理想の社会なのである。

荀子の「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」に関する例えは、とても当を得ていると思う。上は真っ直ぐな棒を立ててその真っ直ぐな影を見て、中は真っ直ぐな棒を立てて真っ直ぐな影が見えているのに曲がった影を探し、下は曲がった棒を立てているのにその曲がった影を見て真っ直ぐだと思いこむのである。▼以下論語から二つの引用をもってして、上と中の違いについて解説しようと思う。▼先進第十一より「子貢は孔子に質問した。『子張と子夏とではどちらが賢いのでしょうか。』孔子が答えて言うには、『子張は過ぎていて子夏は及ばない。』『では子張の方が上だということでしょうか。』『いや、過ぎていることは及ばないことと同じである。(過ぎたるは猶及ばざるがごとし)』▼為政第二より「子張が孔子に質問した。『10世(1世は一代の王が治める期間で約30年)先のことを知ることができるでしょうか。』孔子が答えて言うには、『殷王朝の礼は夏王朝の礼をよりどころとして継承した。だから、このことを詳しく調べれば、そこで増減された礼について知ることができる。そして、周王朝の礼は殷王朝の礼をよりどころとして継承した。だから、このことを詳しく調べれば、そこで増減された礼について知ることができる。周に継ぐべき者なら、100世先でも知ることができるであろう』▼この論語の二つの章で、どちらにも子張が登場する。そして孔子は、先に挙げた章では、子張を「過ぎたる者」として批判しているにも関わらず、今度はその子張に300年先どころか3000年先でも知ることができる。とさらに過ぎたことを言っているのである。これは一見矛盾したことのように思えるが、ここにある要点こそが、荀子の言わんとすることと同じなのである。つまり、先王の礼(真っ直ぐな木)を明らかにして、その影が見えるならば、3000年先のことでも分かるのであり、先王の礼(真っ直ぐな木)を明らかにしているのに、そこにある影を忘れて無闇に探すのならば300年先が分かるどころか「過ぎたる者」として及ばないことと同じであり、先王の礼(真っ直ぐな木)すら明らかにしていないのに、そこに真っ直ぐな影があるかのような妄想を抱くのならば、現在すら分からずに「悖れる者」として迷い続けることとなるのである。