2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧
一章 後王(現代に最も近い理想的な王)の成名(成した名前)について 刑の名は商(殷)に従い、爵の名は周に従い、文の名は礼に従って、散名であるその他の万物に付けられる名前は各地方の風習に従いながらも、遠方異族のものとも全く違うものとはならない…
十一章 おおよそ、人が何かを知りたいと思うような自然な性情を用いれば、物の理を知ることができる。何かを知りたいと思うような自然な性情を用いて、物の理を知ることを求めながら、その上でも、疑いが止まるところ(落ち着くところ、確信できるところ)が…
九章 洞窟の中に人がいて、その名をキュウ(角及)と言う。この人は、遠いことや見えないことについて当てることを好んでそのことについて思慮をめぐらした。耳や目の欲望に心が動揺すれば思慮の邪魔となり、アブやブヨの音でさえ聞こえればその精密さは挫か…
八章 心というものは、姿形や声の君であり、神明(精神を明らかにしておくため)の主である。命令を出すことはあっても、命令を受けるということはない。自ら禁じて自ら使って自ら奪って自ら取って自ら止まる。 だから、口はおびやかせば黙らせることもでき…
今は、漢の治世時代についての部分を読んでいる。 特に、史記というのは、人物中心の歴史が描かれていて、それが他の歴史書や学校で習うような歴史とはかなり違った趣を呈している。また、このことにより、わかりにくいことがある半面で、わかりやすいことも…
最近、史記のうちで、漢の創建時代をほぼ読み終わった。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は学生時代に読んだ数少ない小説のうちの一つである。とても面白かったし、相当熱心に読んだので、ところどころ覚えている。ちなみに、私は小説は滅多に読まなくて、読んだ…
七章 人は何によって道を知るのだろうか。 答えて、心である。 では、心は何によって道を知るのだろうか。 答えて、心が、虚・壱・静であることによって道を知ることができる。 心は、いつも何かを蔵している。(心は奥底に何かを秘めていし、心の見えたり感…
五章 昔、遊説を行っている食客のうちでも特に蔽われていたのが、諸子百家がそれである。 墨子は実用に蔽われて文飾を知らず、 宋子は寡欲主義に蔽われて得ることを知らず、 慎子は法に蔽われて賢いということを知らず、 申子は権勢のことに蔽われて知ること…
グーグルアナリティクスの解析によると、ブログの学問のすすめを読んで下さる方は、海外に住んでいらっしゃる方がわりと多いみたいだ。 いろいろ理由は考えられる。 しかし、外国人が読んでいるということはないだろう。というのも、日本語はとても難しいし…
最近は、史記の秦の始皇帝の辺りを読んでいるのだけど、いろいろと考えさせられる。 秦の始皇帝は、はっきり言って単なる独裁者のキチガイで、まともに生活していたら友だちや知り合いは一人もなく、家族にすら取り合ってもらえないほどの人だったと思われる…
解蔽論第二十一 一章 そもそも、人の患いというものは、一局に蔽われて大理に暗いことである。治めれば大理に復することができて、両(ふたつ)ならば疑惑することになる。天下に二道はなく聖人に両心(ふたごころ)はない。 今、諸侯は別々の異なった政治を…
二章 声楽の形、ありさまについて。 太鼓は大きくて多くの音を引きつけ、鐘の音は充実していて、石を叩いてならす木琴のようなケイはきっぱりと正しく、竹管を組み合わせたウショウは和音が取れていて、笛は激しく、低音の笛はゆるやかで大らかであり、瑟の…
音楽が人の心にしみこむのは速くて深く、その人を感化するのも速やかである。だから、先王は慎重に謹んでこの音楽を文飾した。音楽が中平であれば民衆は和して流れることはなく、音楽が厳粛で荘厳であるならば民衆は整って乱れることがない。 民衆が和してい…
法と禮(礼)は同じものなのか、違うものなのか、ということで、いろいろ研究らしきことをしていたのだけど、この二つのものの違いが分かった。 つまり、法は禮の一部分でしかない。ということである。 現在の法で規制できることは、あくまで行動などだけで…
今、「憲法の常識 常識の憲法」百地章著(文芸春秋)というのを読んでいるのだが、その冒頭にある、国家と憲法の関係についての部分が興味深いので、特に其の中でも、国家論に関する学説を抜粋して、まとめておくことにした。 あと、個人的な独断によって、…
楽論(音楽に関する論)第二十 一章 楽(音楽)というものは楽(楽しみ)である。人情が必ず免れないものである。つまり、人には楽しみがないというわけにはいかないし、楽しめばそれは必ず声に出たり行動に現れるのである。このために、人の道は、この音声…
十五章 三か月のかりもがり(死者を埋葬しない期間)があるのはどうしてか。 答えて、それは死と死者を尊んで重んずるからである。今まで貴んでいた所、今まで親しんでいた所であったこの死者を、これから動かして移し、家から離れて丘に帰そうとするのであ…
四編 今、学者がやるべきこと学者の職分を論ず第一段落 日本が、今後独立の地位を保てるのか?という問いに対して、現在は疑問符が付く状況である。だから、日本は進歩しているようではあるけれど、何の疑いもなく独立の地位を得ているわけではない。こうい…
十三章 三年の喪とはどういったものか。 答えて、情とつり合いをとって文(かざり)を立て、そのことによって人間関係を飾り、親疎と貴賤の節操を弁別して、損益がないようにするものである。この故に、無適不易の術(他に適当な方法は無くかわることのない…
十二章 喪禮とは、生者によって死者を飾るものである。だから、大いに生きていることにかたどることによってその死を送るのである。だから、死んでいるかのようであり、生きているかのようであり、存在しているかのようであり、亡くなっているかのようであっ…