156.荀子 現代語訳 解蔽篇第二十一 八章

八章

 心というものは、姿形や声の君であり、神明(精神を明らかにしておくため)の主である。命令を出すことはあっても、命令を受けるということはない。自ら禁じて自ら使って自ら奪って自ら取って自ら止まる。

 だから、口はおびやかせば黙らせることもできるし言わせることもできるし、体もおびやかせば屈することもできるし伸びることもできが、心はどれだけおびやかしたところで(うわべだけ)変わるということはない。

 心が自ら是とすれば受けて、心が自ら非とすれば退ける。だから言うのだ、心の容態を選びとるのに妨げるものなどはなく、心は必ず心自身を見て捉えることは雑然として広いものとはなるけれど、その情(心の感情と情報)の至りではそれが弐する(二つ以上に分裂している)ことはないと。(例えば、本心と取り繕いと言うとき、取り繕いは心のことでなくて、口から出る言葉や行動のことである。だから、心が、うわべの心と、本心というように、二つに分かれることはあり得ない。だから、このような状態を二重人格などとと言って現代では病気とされる)

 詩経 周南・巻耳篇に「服にからまる ひっつきむしを とってとってかごに詰める だけどなかなか取れ切らない なぜなら人を思っているからだ 周のお宮に相応しい 立派な君子に会うことを」とある。かごをいっぱいにするのは簡単なことだし、ひっつきむしは簡単にとれるものである。だけど、周のお宮のことを考えて、心を弐していては、ひっつきむしをかごにいっぱいにすることはできない。だから言うのだ、心に枝があれば知ることすらできず、心が傾けば精密さを欠き、心が弐すれば疑惑すると。

 道に専らとなって、そうすることでものごとに参加して経験を積むのであれば、万物を兼ね総べて知ることができる。身もこのことを尽くすことができれば美しいと言うことができる。人々の間で共感できることやこまごまとした言動に二つの基準があってはならない。(ダブルスタンダードになってはならない)だから、知者は一つを選んで壱(もっぱら)とするのだ。

 農夫は田んぼに詳しいけれど、かと言って農業を教える立場が務まるわけでなく、商人は市場のことに詳しいけれど、かと言って市場を取り締まる立場が務まるわけでなく、職人は器物に詳しいけれど、かと言ってそれの扱い方を教えることはできない。つまり、物(ある一つのこと)に詳しい者であるのだ。

 しかしこういった人もいる。この三つの技能をこなすことはできないが、この三つのことを治めることができるという人だ。こういった人を道に詳しい人と言う。物(ある一つのこと)に詳しい人は、その物をその物とするだけである。だが、道に詳しい人は、物を物とすることを兼ね備えている。だから君子は、道に専壱になって、そうして、物に参加して経験を積む。道に壱であるならば正しく、それでいて物(ある一つのこと)に参加して経験を積むのなら細かいことまで察することができる。

 正しい志でもって察論(細かいことまで推察すること)ができるのなら、万物に役目を与えることができる。昔、舜が天下を治めたとき、個別の具体的なことを命令しなかったのに万物は成就された。

 心をある一つの具体的な立場に常に置くよう自身を戒めれば、その立場に居ることで栄が満ち溢れる。そして、心を道に一つにするのならばそれはとても微かなこととなるから、どうして栄があるのか人から分からなくなる。だから、道経に「人心はこれ危、道心はこれ微」(人の心は戒めることが重要であり、道の心は微かで得難く見難いものである)とあるのだ。

 危と微の前兆や端緒は、唯一、明らかな君子のみがこれを知ることができる。だから、人の心とは盤水のようなものである。これをまっすぐに置いて動かさなければ、濁りは下に沈んで、清く澄んだ水が上に在ることとなり、これを鏡として顔を見ることもできる。しかし、一度風が吹けば下の濁りが動いて上の清く明らかなところまで乱れることとなり、おおまかな形さえ見えなくなってしまう。

 心もまた、このようなものである。だから、心を導くのには理を用いて、心を養うのには清くする(純一にする)ことを心がけ、さらに物(ある一つのことがら)が心を傾けるようなことがないならば、(心が蔽われていないのならば)、是非を定めて嫌疑を決することもできようが、小物(ほんの些細なこと)が心を引っ張って、正しい基準が外からの影響で変化し、心が内側に傾いてしまうということであれば、おおまかなことを決することもできない。

 だから、書を好む人は多いのであるけれど、そのうちでも倉ケツだけが今に至るまでそのことを伝えられているのは、書を好むことに壱であったからである。農事を好む人は多いのであるけれど、そのうちでも后稷だけが今に至るまでそのことを伝えられているのは、農事を好むことに壱であったからである。音楽を好む人は多いのであるけれど、そのうちでもキだけが今に至るまで伝えられているのは、音楽を好むことに壱であったからである。義を好む人は多いのであるけれど、舜だけが今に至るまでそのことを伝えられているのは、義を好むことが壱で会ったからである。

 スイが弓を作って、浮ユウが矢を作って、そうしてゲイは弓の精度をあげることができた。ケイ仲が車を作って、乗社が馬を作って、そうして造父は馬車を操ることの精度をあげることができた。太古の昔から現在に至るまでに、いまだかつて両(二つ以上のこと)にしかっかりと精通したものなどいない。曾子はこのように言った。「歌を歌うときに調子を使う鞭で、庭の鼠を叩こうなどと考えているようならば、どうやって私と一緒に歌を歌うことができるだろうか」(心が歌うことに集中していないと、一緒に歌を歌うことなどできない)(これから政治を一緒にやろうというのに、私怨での仕返しのことばかり考えている人とは、一緒に政治をすることなどできない)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■難しい。言葉を補って、なるべく平易にしたつもりであるけれど、そのことによって荀子の言いたいことを害っているかもしれない。また、なるべく平易にしたつもりであるけど、まだ意味が伝わらないかもしれない。