明日は我が身

新聞の県版のところには、事件・事故の記事がある。

記事になっているのは、軽犯罪・火事・飲酒運転・自動車事故だ。
事件事故の起きた住所と、関係者の名前及び年齢が書かれている。

軽犯罪であると、万引きの記事もある。
私の記憶では2000円の万引きでも、氏名と年齢が書かれるし、その犯人のその時の所持金も書かれることになる。万引きで悪質だなと思ったのは、9000円分のビールなどを盗んで23万円所持というのがあった。

最初のうちは面白半分というか、知り合いが乗っているかもしれないみたいな好奇心、あるいは、知り合いの名前があったら絶縁しようなどの考えでこれを見ていた。

しかし、毎日見ているうちに考えは変わってきた。

「明日は我が身」だ。

人の運命なんて、明日はどうなるか分からない。
私だって、家が火事になり、財産も身寄りもなくなり、明日には万引きをしなければ生きていけなくなるかもしれない。
また、決して酒乱ではないが、何かの拍子に酔った勢いで運転し、事故を起こすかもしれない。
因縁のある人間とばったり会い、お互い機嫌が悪かったことから傷害罪に至るかもしれない。

とにかく、そこに書かれている犯罪が身近で、さらになんともいえない具体性があるだけに、「明日は我が身」との心が起きてくるのだ。

一度このような気持ちになれば、やすやすと犯罪者批判に興ずることなどできるはずがない。
それなのにどうだ?
このネット上での犯罪者叩きの凄まじさは?
「明日は我が身」どころか、犯罪者予備軍ばかりではないか?


私は、幸運にして、論語や仏典、聖書などをよく読む機会に恵まれた。
このことを実にありがたく思う。