148.荀子 現代語訳 禮論第十九 十三・四章

十三章

 三年の喪とはどういったものか。

 答えて、情とつり合いをとって文(かざり)を立て、そのことによって人間関係を飾り、親疎と貴賤の節操を弁別して、損益がないようにするものである。この故に、無適不易の術(他に適当な方法は無くかわることのない術)と言うのである。

 傷が大きければ、その傷が回復するのに時間がかかり、痛みが甚だしければそれが癒えるのも遅くなる。三年の喪で情のつり合いを取って文を立てるのは、これを至痛の極みとするからである。

 この三年の喪の期間、斬衰の着物を着て黒い杖を持ち、あばら小屋にこもっておかゆを食べ、薪の寝とこに寝て土くれを枕とするのは、この至痛の情とつりあいのとれた修飾をするためである。

 この三年の喪は二十五カ月で終わる。この期間では、哀痛の念が尽くされることなく思慕の情も忘れることができない。そうであるけれども、禮によってこの期間が定められているのは、死を送るのもいつかはやめないとならないし、生に復するけじめというものがあるからではないだろうか。

 そもそも天地の間に生じた者で、血気のある種族であるなら必ず知があり、知のある種族ならばその同類を愛さないということはない。今、かの大きな鳥や獣たちは、自分の群れから離れてしまって、一月経ち季節が過ぎるのならば必ず前いた場所に戻ってみて、故郷を通過することがあるのなら必ずそこで巡回し鳴きしきり、行ったり来たり未練がましくして、そうしてからやっとその場所から離れることができる。小さいものでは、燕や雀でさえも、哀しい鳴き声をあげてからそこを去ることができる。

 そして、血気のある種族では、人より知のあるものはない。だから、人がその親について愛慕することは、死に至るまで極まることがない。

 かの愚かで浅薄な淫らで邪悪な人のようにするのか。そういった人は、朝に死んだ親を夕方には忘れてしまうのであって、そのようにしているのなら鳥や獣にも及ばないことになる。このような人とともに社会に居て、社会が乱れないということがあるだろうか。

 それとも、かの身を修めた君子のようにするのか。二十五か月の三年の喪が終わるのも、馬が隙間を走り去るように速く感じて、喪の期間がどれだけあっても足らないことになる。

 だから、先王や聖人は、このために中を立てて節(ちょうどよいところ)を取り決めて、そうして文と理を成すのに十分となるようにしたのである。

 「そうであるならば、どうして、一年の喪も設けたのだろうか」
 「最も親しい人の喪でも一年ごとに区切りがあるからだ」
 「その区切りがあるのはどうしてか」
 「自然の様子は変化して、四季は既に巡り、宇宙にあるもので更新がないものはない。だから、先王はそのことをかたどって、喪にも区切りを設けたのである」
 「ならば、三年であるのはどうしてか」
 「これに隆(貴ぶべきこと)を加えて倍にしたのである。だから二巡であるのだ」
 「では、九か月より少ない喪があるのはどうしてか」
 「十分にさせないようにしたからである。だから、三年の喪が最も盛んなものであり、三か月の喪と五カ月との喪は微弱にしたもので、一年の喪と九カ月の喪とは、その中間である。上は象を天にとって、下は象を知にとって、中は法則を人に取る。人が群居して和一するための理が尽くされている。だから、三年の喪は人の道において至文というべきものである。これを至隆と言って、百王が同じくすることであり、今も昔も変わらないことである」

十四章

 君主の喪に三年を取るわけはなんであるか。

 答えて、君主というものは、治まることの主であり、文と理の源であり、感情と形式の極である。全ての人がこの人に最高の喪を送るのは当然ではないか。詩経 大雅・洞酌篇にも「立派な君子は民の父母」とある。

 かの君主というものは、そもそも民の父母であるという説がある。父は、子を生み出すことはできるけれども養うことはできず、母は、子を養うことはできても教え導くことはできない。君主は、善く養い、また善く教える者である。三年の喪で終われようか。

 乳母は子に飲食させる者であるけれど喪は三か月、慈母は子に服を着させて世話をする者であるけれど喪は九カ月である。君主は、全てのものを備えているものであるから、三年の喪で終われようか。

 この人を得れば世は治まり、この人を失えば世は乱れる、文の至りである。この人を得れば世は安泰で、この人を失えば世は危険となる、情の至りである。この二つの至りを同時に兼ね備えて積んだ人に対して、三年の喪で仕えたとしてもまだ十分でないのであるが、聖人によって三年の喪が定められているから、それに従うのみである。

 この故に、社の儀式では土地の神をまつり、稷の儀式では穀物の神をまつり、郊の儀式では百王を天の神々とともに祭祀するのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■現在の日本では、喪という喪は取り行わないことになっている。敢えて言うなら、ほとんどの人がひと月くらいは、宴会などを避けたりするのが通例であるだろうか。というか、むしろ法事という行事があって、宴会を催しているとも考えられる。しかし、それはけしからんということではなくて、それはそれで良いと思う。なぜなら、日本の風習では、喪がない代わりに、墓参りという習慣があったり、屋内に仏壇を設けて故人を長く追悼したり、お勤めと言って毎日仏壇に手を合わせるような風習があるからである。だから、この荀子の時代に比べて、哀悼の意を薄く長く文(かざ)っているのである。しかし、この習慣を全く行わないということであれば、それは鳥や獣と変わらぬことになり、こういった人が増えれば当然社会は乱れてしまうこととなる。よくよく考えなければならない。