史記を読んでいて7

最近、史記のうちで、漢の創建時代をほぼ読み終わった。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は学生時代に読んだ数少ない小説のうちの一つである。とても面白かったし、相当熱心に読んだので、ところどころ覚えている。ちなみに、私は小説は滅多に読まなくて、読んだことのある小説は数えるほどしかない。

それで、司馬遼太郎の書き方と、史記司馬遷の書き方には幾分か違いがあって、はあ、遼太郎はこのように捉えたのだけど、司馬遷はこのように捉えていたのだなどと思われるところがあった。

そのうちの一つに、漢の高祖である劉邦の捉え方がある。これは、両者の書き方が違うのでなくて、私の捉え方が変わったのかもしれない。いずれにせよ、劉邦は、やはり大業を成し遂げた人だけあって、簡単に理解できない部分が多くあるのだろうと思う。ただ、自分が劉邦のようになりたいとは思わない。けれど、劉邦について興味深く考えてみることは益のあることのように思う。

劉邦は、特に初めて会う人に大層無礼な人間であったらしい。まあ、単に劉邦が礼儀知らずの人間であったと考えることもできる。しかし、劉邦は、無礼をなじられたり、無礼を咎められたり、無礼に立腹する人を、むしろ重宝しているように思われるところがある。

というのも、レキイキという60歳くらいの高齢の儒者が仕官したいと彼のもとを訪れた時、足を投げ出して、女に足を洗わせていたらしい。これを見たレキイキは、「これから義兵を集めて事を遂げようとするのに、長者に無礼を働くとはなにごとか」と一喝され、すぐにたたずまいを整えてレキイキの話を聴き、そうして、その後もレキイキに大事を多く任している。

また、英布という他勢力の将軍を謁見した時も同じようなことをしていて、英布は腹を立てて何も言わずに退出したが、英布の宿舎も食事も劉邦と同じだけ豪華なものが整えてあったらしい。

こうして考えてみると、劉邦は、まあ、普段からそうだったこともあろうが、ある種の面接をしていたのではないかと思う。つまり、無礼を働かれて、それをなんとも思わずそれに甘んじるような人間ならはっきり言って使えないし、無礼に怒り狂って我を忘れてしまうような人間もはっきり言って使えない、この無礼に対してどのように対応するのか、ということを見ていたのではないかと思う。

しかし、もちろん、現代でこのようなことはしてはならない。当時は戦争の急場だったからこの方法が有効であったに過ぎない。現代でこんなことをしていたら、鉄面皮の恥知らずか、利益のためなら何でも屈する根性無ししか寄ってこないだろう。