151.荀子 現代語訳 楽論第二十 一章-後

 音楽が人の心にしみこむのは速くて深く、その人を感化するのも速やかである。だから、先王は慎重に謹んでこの音楽を文飾した。音楽が中平であれば民衆は和して流れることはなく、音楽が厳粛で荘厳であるならば民衆は整って乱れることがない。

 民衆が和していて整っているならば、兵は強くて城は固くて、敵国も進んでここにちょっかいをかけようとは思わないだろう。このようであれば、百姓もこの土地に安んずることができて、この郷里に居ることを楽しんで、そこのお上様に皆満足することとなる。そうしてから、名声が白日のものとなり、光り輝きもここに至って大いなるものとなり、世界中の人がこれを師としたいと願うようになる。これが王者の始めである。

 しかし、音楽が派手で艶めかしく険しいものであるならば、民衆は慢(ゆるがせ)に流れて卑賤となる。慢に流れれば乱れて、卑賤となれば争うこととなる。乱れて争うのなら兵は弱くなり城は侵攻され、敵国もこの城を危うくするようになる。このようになれば、百姓もこの土地に居て安心することはできず、この郷里に居て楽しむことなく、お上様にも満足できないこととなる。この故に、礼楽が廃されて邪音がおこるのあんらば、それは危うくなって削られて侮辱される本なのだ。

 だから、先王は礼楽を貴んで邪音を賤しみ、役人の序列を行うときにも、使命とその原理を修まったものとして詩を詳しく審議し、淫らな歌を禁止して適切な時期に修め整え、野蛮で低俗な邪音に雅声を乱されるようなことがないようにした。だから、これは大師の仕事である、と言ったのだ。

 墨子は、楽は聖王が非といたものであり、儒者がこれをするのは過ちだと言う。しかし、君子はこれを否定する。楽というものは聖人の楽しむものであり、民心を善に導き、その人を感じ入らせて深くその人の習慣を変化させることができる。だから、先王は民衆を導くのに礼楽を用いて、民衆は和睦した。

 民衆には好悪の感情があるのに、これに相応する喜怒がなければ乱れることとなる。先王はこの乱れを嫌い憎んだのである。だから、その行列を修めてその楽を正しくして、そうして天下もこの善に従ったのである。

 この故に、斉衰の服と哭泣の声とは人の心を悲しませて、鎧を着て兜を付けて伍隊で歌を歌えば人の心を憤激させ、淫らな格好と鄭や衛の音楽はとは人の心を淫らにして、伝統的な冠を着けて正装して韶の舞いをして武の歌を歌えば人の心を荘厳にする。

 だから、君子は耳には淫音を聴かず、目には女色を視ず、口には悪言を出さない。この三者は君子の慎むところである。そもそも、姦声は人を感化して逆気がこれに応じることとなり、逆気は表にも現れて乱が生じることとなる。正声は人を感化して順気がこれに応じることとなり、順気は表にも現れて治が生じることとなる。唱和には相応のものがあって、善悪がお互いに現実に現れることとなる。だから、君子はその去るべきものと就くべきものについて慎重にするのである。

 君子は、太鼓や鼓によって志を導き、琴や瑟によって心を楽しませ、動くのにはまさかりや手斧を用いて、飾るのには羽毛を使い、これらに従って笛などの管楽器が用いられる。(剣舞のようなものを想定していると思われる)

 つまり、その清く明らかであることは天にかたどり、その広大であることは地にかたどり、その緩急抑揚の流れは四季のようである。この故に、楽が行われてこそ志は清くなり、礼が修まって普段の行いも成就し、耳目は聡明となり、血気は和平となり、風習を移して習俗を変化させ、天下は安寧を感じて美善となってあい楽しむことができる。だから、楽(音楽)というものは楽(楽しみ)であると言うのだ。

 君子は、道を得ることを楽しんで、小人は欲を満足させることを楽しむ。道によって欲を制することができるのなら楽しんでも乱れることはなく、欲によって道を忘れるのなら迷うばかりで楽しむことはできない。だから、楽というものは楽しみを導くためのものである。楽器は徳を導くためのものである。楽が行われて民衆は向かうべき方向に向かう。これ故に楽というものは治人の盛んなものであるのだ。そうであるのに、墨子がこれを非とするのだ。

 また楽というものは、和するために変えることのできないものである。礼というものは、道理で変化させることができないものである。学は合同(個人間の感情を合わせて同一に)して、礼は別異(貴賤長幼の別と個性の異なりを尊重)して、礼楽の統一性は人の心を管理する。本を窮めて変を極めるのは楽の情である。誠を顕著にして偽りを去るのは礼の経(普遍の筋道)である。

 墨子がこれを非とすることは、ほとんど刑罰を免れないことであるけれど、明王が没してしまってこれを正す者が亡くなってしまった。愚者はこの墨子の説を学んで身を危うくする。君子が楽を明らかにするのはすなわち徳であるのに、乱世は善を憎んでこれを聴こうともしない。ああ、哀しいことよ。成就することができない。弟子たちよ、勉学に励んで惑わされることのないようにせよ。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■楽というのは、特に剣舞みたいなもののことを言っているようだ。確かに、史記などには、宴会で剣舞をして誰かを暗殺しようとする場面が幾らかある。荀子の時代は、こういったものが盛んであったのだろうか。