83.荀子 現代語訳 富国第十 五章-前

五章

 墨子の言葉によると、おおっぴらに天下のために物がたりていないことを心配しているのだけど(墨子は質素倹約と兼愛を旨としていた)、ものが足りないというのは、皆で心配するほどのことではない。これは、墨子の勘違いと思い込みによる過剰な心配というものである。

 今、この土が五穀を生ずるとき、人がうまくこれを育てて収穫するならば、うね一筋で数盆ほどの収穫高があり、それが一年のうちに二度も取れるのである。さらにこの上、瓜・桃・棗・すももなどは、一つの株から数盆に一杯になるほどの収穫があり、あまたの野菜類は川や沼をいっぱいにするほど収穫でき、食肉の家畜も一匹で車を一杯にできるほど肥え太り、鳥も煙のように空いっぱいとなり、昆虫やその他の万物も多く生じることとなって、そうして、自然界の食物連鎖は数えきれないくらいとなる。

 このように、自然界の天と地の間で生ずるものは、そもそも余りの方が多いのであって、人が食べるのには十分なのである。麻やクズや繭や糸、毛皮や羽毛や骨や牙など、こういったものも、人が利用するには十分な量があるのである。かの墨子が足らないとするようなことは、皆で心配するほどの事ではないのであり、それは墨子の思いこみの勘違いによる過剰な心配というものなのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ほんとに荀子は賢いなぁと思う。特に、この荀子の時代ではこのことが顕著であっただろう。しかし、現代では、地球に対して明らかに人間が増えすぎている。また、人間一人が消費するものも、この荀子の時代の百倍くらいになっているだろう。だから、現代では墨子の質素倹約を旨とするのが妥当なのであろうと思う。では荀子が間違っていたのか、というとそうではなくて、荀子がもし現代に居たら、墨子を称賛することはあっても批判することはないと思う。