91.荀子 現代語訳 富国第十 十二章

十二章

 国家を保持する上での難しいことと易しいこと。

 強暴の国に仕えることは難しく、強暴の国を自分に仕えさせることは簡単である。

 もしも、この強暴の国に財貨の貢物をすることで仕えるのならば、財貨が無くなるばかりで安定した国交が開けることはないであろう。もしも、この強暴の国と同盟や誓約を取り交わしたとしても、一時的に安定した関係が築かれるに過ぎず、この約束が反故されるのも時間の問題であろう。また、もしも、土地を少しずつ分けて与えるとするならば、自国領地には限りがあるのに、この強暴の国の欲が満たされることはないであろう。

 だから、結局、この強暴の国に対して従順に接すれば接するほど、仕える方の国家がどんどんと削られていくこと甚だしいものとなり、そうして、その国の財貨が尽きて、国が枯れ果てることとなって、そうしてやっとこの強暴の国からの要求がなくなるということになる。いかに堯が左で補佐し、舜が右で補佐をしていたとしても、このような方法によってでは、国の滅亡や衰退を免れるかれることはできないだろう。

 これを例えるならば、首に宝石をかけて、多くの貴重品で身を飾り、背に黄金を背負ったうら若き乙女を、山奥の盗賊に遭遇させるようなことである。こんな状態では、いかに、目をひそめ腰をかがめて眉をひそめ、目立たぬようにしていたとしても、必ず免れることはできないだろう。

 だから、人を統一する道によることをしないで、ただ、恐れてご機嫌伺いをしているだけならば、国を保持して自身の身の安心を得ることなどできないのである。それ故、明君はこのような方法を用いることはしない。

 明君は、必ず、礼を修めて朝廷を整え、法を正して役人を整え、政治を公平にして民衆を整え、こうしてから、儀式や節度が朝廷で行われ、百事が役人によってうまく行われ、民衆は安心して下に落ち着くようにするのである。このようにするのならば、近くに居る者は競い合ってこちらに親しむようになり、遠方の者はこちらに来たいと願うようになり、上下の心が一つになって、三軍の力は一つにまとまる。このように名声が高まるならば、強暴の国を暴いて炙ることができるほどとなり、このように軍隊の威勢が高まるならば、強暴の国に仕置きを加えることができるようになる。

 こうなってしまえば、手をこまねいてあごで指図するだけで、強暴の国を自分の思い通りに動かすことができる。これを例えるならば、相撲取りと軟弱な人がけんかをするようなものである。だから、強暴の国に仕えることは難しいけれど、強暴の国を自分に仕えさせることは簡単だと言うのだ。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■現在の中国などがこの強暴の国の良い例であろう。荀子は一応中国人であるけれど、現在の中国の有様を見ていると、とても同じ国とは思えない…。

荀子の王道を行う上で難しいことは、信じきることであろうと思う。この荀子の理論は正しいのだけど、やはり、現実離れした絵空事ではないかと思われる部分もある。しかし、その疑念を乗り越えて、荀子の説く王道を信じ切って通り切るだけの精神力みたいなものが一番大事なのだろうと思う。