荀子は人気がないらしい

荀子は、人気がないみたいだ。

ブログの訪問者数が減って行っているのでよくわかる。

ガックスィ〜という感じだけど、あれほど良い書物もないしなぁ。とも思う。あと、荀子自体が超長編であることも問題だと思う。その他にも、毎日少しずつアップしていくというあの方法もあまりよろしくないらしい。それは、同じことを毎日続けるということが難しいからである。誰だって飽きる。三か月の長期にわたって飽きないようなことは、大概、その人にとって、趣味にも等しい好きなことである可能性が高い。だから、儒学に相当興味を持っている人の中でもさらに選ばれた、毎日同じことをする忍耐力のある人しか、私のブログと付き合うことはできないだろう。こうして考えてみれば、当たり前のことである。

だけど、何らか生活が変わって、時間的にどうしてもできないような状況になるか、荀子全編を翻訳し終わるまでは、これを続けようと思う。

そもそも、学問と言うのは、自分のためにするものであり、人から称賛を得るためのものではない。

ブログは、有益な友人ができるためのきっかけとなれば、ということと、少しでも誰かの智恵増進や生活向上の手助けになれば、という理由でやっているのだけど、現在の不人気を理由にこれをやめたら、その後に得られるもっと大きな成果が妨げられることとなるだろう。つまり、私がこれを恐らくあと半年以上続けることができれば、私自身が相当に成長できて、結果として、その後さらなる成果を上げることができるであろうということだ。そのような後の成果が期待できるのに、これを捨てることは馬鹿げている。

あと、今日思ったのだけど、幕末の志士でも影響力が強かった人の幾人かは、荀子を熱心に読んでいたのではないかと思う。それは、荀子には他の儒学にはない、独立の概念と自由の気風、科学的立証的弁論的態度があるからで、儒学封建制度)→洋学(民主主義)という過渡期において、荀子は最もその時代の流れに沿うものであったと思うからだ。証拠としては、学問のすすめの内容は荀子の儒効第八の五章あたりとほぼ同じであるし、「富国強兵」という言葉も、荀子の富国第十から着想を得たものにほぼ間違いないであろうからだ。