144.荀子 現代語訳 禮論第十九 七章

七章

 禮というものは生死を治めることを謹むものである。生は人の始まりであり死は人の終わりである。始終をともに善くすることができて人の道は尽くされる。この故に君子は、始めを敬して(大事にして)終わりを慎み、始終があたかも一つであるかのようである。これが君子の道であり禮義の文(かざり、あやもよう)である。

 仮に、生だけを厚くして死を薄くするのならば、これは知の有る者だけを大事にして知の無い者をおろそかにすることである。これは姦人の道であって背反の心である。君子とは、背反の心を持ちながらでは、どんな身分の卑しい人に対してでも接することを恥ずる者である。そうであるのに、貴び第一として親しむものにそんな態度をすることができるだろうか。そもそも死の道は一回こっきりであって再び繰り返されることはない。臣下として君主を尊重するところであり、子として親を尊重するところは、ここにおいて尽くされるのである。

 この故に、生に仕えて忠厚(まごころ)がなくて敬文(大事にしてかざること)もないのならこれを野(粗野)と言って、死を送るのに忠厚がなくて敬文もないのならこれを瘠(薄情)と言う。君子は粗野であることを賤しんで薄情であることを恥じる。

 だから、天子の棺桶は七重、諸侯は五重、大夫は三重、士は二重で、こうして初めて皆の衣食の多少厚薄には数の違いがあり、棺桶を飾るやり方にも等差があって、生死始終を一つのもののにして、そうやって全てが人に願われていることに沿っている。これが先王の道であって忠臣孝子の極みというものである。

 天子の喪では世界中を動かして諸侯を集めて、諸侯の喪では交わりのある国を動かして大夫を集め、大夫の喪は一国を動かして修士を集めて、修士の喪は一郷を動かして朋友を集めて、庶民の喪は親戚を合わせて村里を動かす。けれども、刑を受けた罪人の喪では親戚を合わせることができずただ妻子が集まるだけであり、棺桶の厚さも三寸、棺桶に入れる服も三重であって、棺桶を飾ることもできず、昼に葬式行列をすることもできず、夕暮れに運んで埋葬し、帰ってからも泣き叫ぶ儀式も無ければ喪服も着けず、死者との関係に応じた喪の期間の等差も無くて、それぞれが日常の生活に戻り、既に埋葬が終わってしまえば喪がない者のようになってしまう。こういったことを至辱と言う。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■「生だけを厚くして死を薄くするのならば、これは知の有る者だけを大事にして知の無い者をおろそかにすることである。これは姦人の道であって背反の心である。」とはどういったことであろうか。原文では「夫の生を厚くして其の死を薄くするは、是れ其の有知を敬してその無知を慢(ゆるがせ)にするなり。是れ姦人の道にして背反の心なり」とある。▼これはこういったことであろう、つまり、生きているときは、その人からの恩恵もあろうし、怒られたり、その人に対して恥を感じることもあろうが、死んでしまえば、目はなくなり耳もなくなり口もきけなくなって、この人に対する敬いの心や、畏れの心を失ってしまうこととなる。このように、「知」がないからといっておろそかにすることを背反の心と言う。これは中庸などにある「屋漏にも恥じず」(雨漏りするような家に居ても、人に恥じるようなことをしない)というのと同義であろう。

■現在の日本での葬式は、ここで荀子の言っている罪人の葬式とほとんど同じである。だから、日本の葬式は変えなければならないもので、背反の心があるものであるのかというと、それは全くそうではない。日本の場合だと、終わりを慎むことと、それに伴って背反の心を持たない禮的な儀式が、法要や墓参り、仏壇の手入れ、写真を飾ること、その他の死者を弔う形式や儀式に違う形で表れているのだと思う。だがしかし、もし仮に、現代で、多くの人がこういった日本伝統の死者を弔う儀式を全くしないということであったら、それは憂慮すべきことである。なぜなら、それをしない人は、姦人であり、死人に口なしとして、恥を忘れ、このように自分自身を貶めた上で、さらに自らの親近者を罪人として扱うことになるからである。▼ここで重要なことは、死者をおろそかにするのなら、それは「ばれなければいい、露見しなければいい」という心に繋がることであるということであろう。