わかりやすい論語18 白圭のかけたるは尚磨くべきも

はじめに

 最近は、ブログが炎上してしまったり、テレビで新聞で変なことを言ったばっかりに、みんなからの信用を失ってしまう人が多くいます。維新の会の橋下氏もマスコミを利用して宣伝しようとするあまり、結局のところ逆にみんなからの信頼を失ってしまいまた。しかし、私たちは、この方々と同じ失敗をしないように、考えて、戒めを持って、生きなければなりません。ではどうしたらよいのでしょう。その答えの一つが、孔子の言行録で知られる論語の中にあるように思います。


南容白圭を反復す。孔子その兄の子を以てこれに妻(めあ)わす。

(先進第十一より)


南容という人は、言葉を慎んだ人で、詩経(大雅・抑編)の「白圭(白くみがきあげた上がまんまるで下が四角いきれいな石のこと)が欠けたのは、磨けばなんとかなるけれど、この言葉が欠けたのは、もうなんともならいよ」という詩を反復して唱えるようにしていました。孔子は、兄の娘をこの南容のところに嫁がせることにしました。


解説

 孔子は立派な人です。その立派な人が、どうして南容に大事な姪っ子を嫁がせたのでしょうか。それは、南容が大きな罪にかかることはないと思ったからです。

 孔子が生きていた春秋戦国時代では、今では想像もできないほどの治安の悪い時代でした。道端で死人が転がっていたり、王様は兄弟同士で殺し合いをして王位を争ったりしていました。こんな世の中では、いつ自分の立場が危うくなるとも限りません。だから、こんな世の中では、一つ言葉の間違いがあるだけでも命取りの時代だったのです。なぜなら、今日は身分も低くて偉くもない人に悪口を言った時、明日にはこの人が身分が高くなって偉くなって、自分に仕返しをしてくるとも限らなかったからです。当時の仕返しで一番ひどいものは、一族郎党、家族と親戚一同皆殺しというものでした。

 こんな一つの言葉が命取りの時代でも、孔子は「白圭がかけたのは、磨けばなんとかなるけれど、この言葉がかけたのは、もうなんともならないよ」という言葉を、毎日唱えているだけの人を信用し、また信頼したのです。

 それはどうしてでしょうか?

 それは、口と言うのはとかく動き易いものだからです。例えば、わたしたちはつねられて痛いと、すぐに「痛い」と声を出します。しかし、そのつねった人をたたいたりする行動に移るのには、多くの人がためらうを時間を持てると思います。この話でもわかるように、口と言うのは、とにかく動き易いのです。思うより先に動いている時さえあります。しかし、この動き易い口を、何とか抑えないことには、失敗してしまったり、危険に陥ってしまう可能性が常にあるのです。

 しかし、南容は、この口が動き易いということだけを知っていたのでしょうか。私はそうではなくて、南容は、三つの大事なことをしっかり知っていた賢人であったのだと思います。だからこそ、白圭の詩を反復していたのです。

 その三つの大事なこととは、1.口は動き易いということ、2.口は災いのもとであること、3.これらのことをとても深く心に刻んでいたこと、この三つです。

 南容は、前二つの大事なことを、本当にとても大事なことだと知っていたから、詩を毎日反復して自分を戒めていたのです。前の二つのことだけでしたら、この二つはそんなに難しくないことですから、これを読んで下さった皆さんも既に知っていらっることかもしれません。

 しかし、「知っているだけ」であることと「知っていて、しかも、それをとても大事なことだと思って、そのことを本当に気をつけようと常に思っていること」とは少し違うことです。ブログが炎上して困ってしまう人や橋下氏も、この最後の一つのことに、少し気持ちが足らないのだと思います。

 わたしたちは同じ失敗をしないように、南容の真似をして、「物が壊れてしまうのは、直せば何とかなるけれど、この言葉がかけてしまうのは、もうなんともならないよ」と反復するようにするといいのかもしれません。そして、これがいかに大事なことであるかを深く心に刻むことが、本当に一番大事なことであるのだと思います。

関連 荀子栄辱篇より
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130127/1359252388

わかりやすい論語 まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563