憲法について1

この前、図書館で

「英語で日本国憲法を読む」(島村力・グラフ社)という本を発見して、読んでいる。

日本国憲法は、マッカーサーの指導によって作られたものであるから、英語から考えて日本国憲法について考えるのは、とても重要なことと思う。著者の方も、そのような主眼の本に、この本を書いている。

本としては、かなり詳しく憲法成立時のことを調べてから書いたみたいで、憲法の条文ができた経緯や、その周辺の小話も豊富でとても満足している。字数は少ないが、良著として何の問題も無いと思う。

それで、ゆっくり読んでいるので、まだ第九条のところなのだけど、驚愕の事実が明らかとなってしまった。

まずすぐに思ったことは、マッカーサー原案では、

The Emperor is at the head of State.

となってたらしいのだ。つまり、自民党改憲案にある「元首」という言葉、私はこれを馬鹿にして自民党の「天皇元首制」と(心の中で)呼んでいたのだが、どうもこれは、このマッカーサー原案に着想を得ているようであるのだ。

そして、結局、headは加藤勘十氏の新聞での論説をもとに、アメリカ少尉などがsymbolに改めたということらしいのだ。

これは興味深い程度であるのだけど、私が驚愕と言うのは、英文憲法では、この天皇の条文のみ、つまり、第一条のみにStateという言葉が使われているらしいことなのだ。つまり、State,Country,Nationは、いずれも国家と訳される英語であるけれど、Stateに限っては、「州」という意味もあるということである。

つまり、日本をアメリカの属州とするような意図が、巧妙に仕込まれていると見てなんら差支えないわけである。現在、この日本国憲法がどのように英文で公表されているのか知らないけれど、ここを変えるか、天皇を廃止ししてこの条文をごっそり無くさない限り、日本はアメリカの庇護にあろうと私は見るのである。もちろん、日本語ではどちらも国家と訳されている。(ちなみにこの本だと、決定後もStateのままのようである)

多くの人は、そのくらいいいじゃないか、と看過するようなことだけど、儒学の末席に居る私からすると、一大事である。憲法こそが、国の本であるからである。「まずその名を正す」とは孔子が宰相になったら、まず何をするか?と問われた時に答えた言葉だ。

あと、そもそも、憲法について調べ出したのも、他ならぬ、荀子の礼と憲法においての関連性を研究するためだ。