史記を読んでいて5

史記を読んでいると、いろいろと残念なことがある。

というのも、君主が交代することや、君主があまりにも愚かであったり、君主や他の重臣の保身のためであったり、それらの人が賢者や能力者を妬むことにより、功績を挙げていた賢臣が退けられてしまうことが多いからだ。

呉の伍子胥http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8D%E5%AD%90%E8%83%A5

燕の楽毅http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E6%AF%85

秦の白起http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%B5%B7

魏の信陵君http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%99%B5%E5%90%9B

こういった話を読んでいると、「失った感」がある。挙がるべき功績とあるべき平和な世の中が「失われた感」である。

信陵君については、この人が君主であったら、王道によって、このとき中華が統一されていたのではないかとさえ思える。

こう考えてみると、歴史は実に難しいなあと思う。そういった人材が居たからと言って平和で理不尽のない世の中ができるわけでなく、できそうでもできないことが数多くあるのである。

ひとつ不思議であるのは、誰も新たに君主を名乗り出さないことである。そういった記述がたまたまないだけなのかもしれないけど、農民や士がのし上がって宰相や将軍になるということはあっても、のし上がって一国一城の主になったりするわけではない。また、そういった野心がある者が出るわけでもない。

恐らくこういった王族と平民という身分制度による常識が、人の頭と価値観を完全に支配していたのだろうと思う。荀子も、もちろん基本的には王ありき、というところから議論を始めている。

この王族しか王になれないという常識が打ち破られるのは、秦が中華を統一して始皇帝が没した後の「陳勝呉広の乱」が中華史上初となるわけである。それを高く評価してか、史記では、陳勝のことを列伝より格上の世家として記述しているらしい。

陳勝の名言(wikiから抜粋)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%8B%9D
「王侯将相寧有種也」(王や諸侯、将軍、宰相になると生まれた時から決まっている訳ではない。即ち、誰でもなることができるのだ)
「嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉」(ああ、燕や雀のごとき小鳥にどうして鴻(ヒシクイ)や鵠(白鳥)といった大きな鳥の志がわかろうか)

すごい奇策士・斉の田単http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8D%98