201.荀子 現代語訳 宥坐第二十八 八・九章

八章

 孔子が南の楚に向かおうとして、陳と蔡の国境で苦しんだことがあった。七日間、火を通したものを食べることができず、野草の濃いスープに米を混ぜたものさえ口にできなくなり、弟子は皆な飢えた顔色だった。子路が進み出て言うには、「私はこのように聞いたことがあります。善をなす者は、天がこの人に報いるのに福を用いて、不善をなす者は、天がこの人に報いるのに禍を用いると。今、先生は徳を重ねて義を罪、美しい行いに満足して日も久しくなっております。そうであるのに、どうしてこれほどに居心地が悪いのでしょうか。」

 孔子は答えて言った。「おまえは知らないのか。私がお前に語ろうではないか。おまえは知者が必ず用いられると思うのか。王子比干は知者であったのに生きたままで心臓を裂かれたではないか。おまえは忠義のある人がかならず用いられると思うか。関竜逢は死刑にされたではないか。おまえは諌言をする人がかならず用いられると思うか。呉の伍子胥は姑蘇の地の東門の外ではりつけにされたではないか。

 偶と不遇とは時のことなのだ。そして、賢者であるか不肖者であるかは材質や才能のことなのだ。君子が博学で深謀であったとしても、時に遇わなかった場合は多い。このことによって考えt見れば、世の中で不遇な目にあっているのがどうして私一人だけであろうか。

 また、香水に使われる蘭は林の奥深くに自生するのだが、人が居なかったからといって芳しい匂いを放つのだ。君子の学問とは、世で認められるためのものではない。困窮したとしても苦しまず、憂えてもその心が衰えず、禍福と始終を知って心を惑わさないためのものなのだ。

 賢者であるのか不肖者であるのかは、材質や才能のことである。するかしないのかは、その人の人格である。そして、偶と不遇とは時なのだ。また、死生は運命である。今、その人が居るのに、時に適合しないで不遇ならば、いかに賢者であってもその人の道が行われることはないであろう。かりそめにも、その時に遇するならば何も難しいことなどないだろう。だから、君子は博学となって深謀し、身を修めて行いを正して、そうしてその時を待つのだ。」

 孔子は言葉を続けて言った。「子路よ、そこに居なさい。私がおまえに語ろうではないか。昔、晋の王子であった重耳が覇業をしようと思ったのは、亡命先の曹で苦しんでいたときだった。越王勾践が覇業をしようと思ったのは、会稽の戦いで散々に打ち負かされたときだった。斉の桓公小白が覇業をしようと思ったのは、キョの国に亡命していたときだった。だから、居場所に苦しんだ物がない者は、その思いを致すところもさほど遠くないのだ。身が捨てられた者こそ志は広くなる。お前は、私がこの桑落の地で苦しんでいることで、全く得るものがないと思うのか。」

九章
 
 子貢が魯の廟の北堂を拝観して、出てきて孔子に質問して言った。「前に、私は太廟の北堂を拝観して、まだ全て見ないうちに帰ってきました。そして、もう一度、その北堂を見てみると、材木が短く断たれていました。あれには何か意味があるのでしょうか、それとも大工が間違えて短くしてしまったのでしょうか。」孔子は答えて言った。「太廟のお堂のことならば何か意味があるのであろう。役人は良い大工を集めて、そうしてちょうどよい飾りをしているのだ。良材が足らなかったのではなく、恐らく飾りを貴んだ結果であろう。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■「君子はよく貴ぶべきことを為すも人をして貴からしむべきこと能わず」人から、認められないからといって、その人が君子でない、というわけではない。周囲の状況(勢)を変えることはできないが、己を変えることはできる。これは、修身の基本、物事の道理だが、周囲の状況を変えることばかりに目が行くのが人情である。しかし、考えてみれば当たり前のことでもある。子供は、ピーマンの入ったシチューを作る母親に文句を言って泣け叫び、それで事態が改善すると思っている。しかし、大人は、ピーマンの入ったシチューが気に入らなければ自分でシチューを作る。どうしてもピーマンの入っていないシチューを食べたい場合、後者の方が確実であることは、それほど難しいことではない。よく考えなければならない。

■八章は、論語衛霊公第十五にも、同じ場面が違う書き方をされている。以下引用翻訳「衛の霊公が孔子に陣立てのことを問うた。孔子は『私は豆を入れたりする祭器のことは学びましたが、軍のことについてはまだ学んでおりません』明くる日、遂に衛を去っていった。陳の国に入った時、食べ物がなくなってしまった。付き従っていたものは力衰えて立つことさえできなくなった。子路は怒りを露わにして孔子に言った。『君子でも困窮することがあるのですか』孔子は答えて言った。『君子はそもそも困窮するものなのだ、小人は困窮すると氾濫した水のように乱れる』」