202.荀子 現代語訳 子道第二十九 一〜四章

子道第二十九

一章

 家に入れば孝(親を大事にして)、家から出れば弟(年長者や位の高い人に恭敬)であることは、人の行いのうちでも小行いというものだ。上に善で和して下にはその気配りが篤いならば、これは中行と言える。道に従って君主に従わず、義に従って父に従わないのなら、これは人の大行である。

 普段からの心構えが礼に従うことに安んじていて、言葉は共感できるもので尚且つ細かいことまで法則に適っているのならば、儒道も極み終えたといえるだろう。いかに舜であっても、チリひとつほどの変更もここに加えることはできない。

二章

 孝行の子が命令に従わない理由が三つある。

 命令に従うと親の身が危うくなって、命令に従わなければ親の身が安泰になるとき、孝行の子が親の命令に従わないのは、衷(まごころ)というものである。
 命令に従えば親が辱められ、命令に従わなければ親に栄誉があるとき、孝行の子が親の命令に従わないのは、義(普遍的な倫理を守ること)というものである。
 命令に従えば禽獣と同等に堕ち、命令に従わなければ修養と文理があるとき、孝行の子が親の命令に従わないのは、敬(ものごとを大事にすること)である。

 だから、従うべきときに従わないのなら不子(そもそも子ではない)であり、まだ従うべきでないのに従うのなら不衷(まごころがない)である。従う場合と従わない場合の義に明らかで、しっかりと恭敬と忠信と端正を致して、それらを慎んで行うのならば、これは大孝と言うことができる。言い伝えに「道に従って君主に従わず、義に従って父に従わない」とあるのは、このことを言っているのだ。

 この故に、疲れ果てていてもその敬の気持ちを失うことがなく、災禍に見舞われて患難があってもその義を失うことなく、不幸にも善で和することができず憎まれることがあってもその愛を失わないようなことは、仁人でないとそれを行うことはできない。詩経に「孝行の子の徳 決して乏しいものではない」とあるのはこのことを言っているのだ。

三章

 魯の哀公が孔子に質問して言った。「子が父の命令に従うのは孝行であるか。また、臣下が君主の命令に従うのは貞正なことであるか。」孔子は三回同じ質問をされたが、三回とも答えなかった。

 孔子は、退朝すると、子貢に語って言った。「さきほど、我が君が、私に問うて言うには、『子が父の命令に従うのは孝行であるか。また、臣下が君主の命令に従うのは貞正なことであるか。』ということだった。そして、三回同じ質問をされたが私は答えなかった。お前はこのことをどのように考えるか。」

 子貢は言った。「子が親の命令に従うなら孝行でしょうし、臣下が君主の命令に従うなら貞正なことでしょう。先生は、どんな理由で答えなかったのですか。」

 孔子は言った。「つまらない人だな。お前は知らないのだ。昔、戦車が万台あるような国なら君主と争う臣下が四人いれば国境が削れれることはなかった。戦車が千台あるような国なら君主と争う臣下が三人いれば国が滅びることはなかった。百台の家なら君主と争う臣下が二人いればお家は安泰であった。父には自分と争いをする子が居れば無礼が行われることもなかった。そして、一介の士には争ってくれる友があれば不義をしなかった。ならば、子が親に従うのが、本当に子の孝行と言えるだろうか。臣下が君主に従うのは本当に臣下の守るべきことだろうか。その人に従う理由をはっきりと詳しくすることこそ、孝行なのであり、貞正なのである。

四章

 子路孔子に質問して言った。「ここに人が居て、早く起きて夜遅くに寝て、耕し草刈りをして植えて種をまき、手足も圧し曲がるのほどにその親を養っていたとします。それなのに、孝行であるという名声がなかったとしたら、それは何故でしょう。」

 孔子は答えて言った。「それは思うに、身が不敬なのではないか。言葉が不遜なのではないか。顔色が善に和すことがないのではないか。昔の人の言葉に『服のことだろうか、一緒にいるときに問題があるのだろうか。お前には頼らない。』とあるが、今、朝は早く起きて夜遅くに寝て、耕し草刈りをして植えて種をまき、手足も圧し曲がって、そうして親を養っていたとしても、これら三つのことがないのならば、どうして孝行な子と言われるだろうか。それとも友が仁人ではないだろうか。」

 孔子はさらに続けて言った。「さあ、これをしっかりと記憶しておけ。私がお前に語ろうではないか。国でも一番の力持ちが居たとして、この人は自分の体を持ち上げることはできないが、これは力がないからではない。勢(まわりの状況)によってそれができないからなのだ。だから、家に居て行いが修まっていないのは身の罪であるが、家から出て名が広まらないのは友の過ちであるのだ。だから、君子は入っては篤く行い、出ては賢者を友とする。このようにしてみれば、どうして孝行の名がない、ということがあるだろうか。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ここに出てくる表現で、「入りては孝、出ては弟」とあるが、これは論語の引用だろう。また、顔色についての記述があるが、これも論語に同様の文がある。前者は学而第一に、後者は為政第二にある。

■力持ちが自分の体を持ち上げられないという例えがあるが、これは韓非子でも「勢」のことを説明するときに出てくる例えである。「勢」は孫子でも重要語句である。