203.荀子 現代語訳 子道第二十九 五〜八章

五章

 子路孔子に質問して言った。「魯の大夫は、喪に入ってから一年後の練の祭りのあと、喪の間に使う質素な寝床でなく普通の寝床で寝るようになりますが、これは礼でしょうか。」
 孔子は答えた。「私は知らない。」

 子路は、孔子の所から退出すると子貢に言った。「私は先生には知らないことはないと思っていたのだが、先生にも知らないことがあった。」
 子貢は言った。「あなたは何を質問したのですか。」
 子路は言った。「私は、魯の大夫は、喪に入ってから一年後の練の祭りのあと、普通の寝床で寝るようになりますが、これは礼でしょうか。と問うたのだ。そしたら、先生が、私は知らないと答えたのだ。」
 子貢が言った。「私はあなたのために同じことを質問してみましょう」

 子貢が質問した。「喪に入ってから一年後の練の祭りのあと、普通の寝床で寝るのは礼でしょうか」
 孔子は答えた。「それは礼ではない」

 子貢は退出して子路に言った。「あなたは、先生のことを知らないことがあると言うか。やはり先生に知らないことなどないのです。というのも、あなたの質問の仕方が間違っていたのです。礼には、この国に居ればその大夫を否定してはならない、というのがあります。」

六章

 子路が大層立派な格好をして孔子に会いに行った。孔子が言った。「おまえのこのいかにも立派な服装はなんだ。むかし、川はビン山から出ていたが、その支流は盃を浮かべる程度の小さいものだった。川が川渡しの居る所まで来ると、今度は船を並べて風を避けるようにしなければ渡れないほどになる。これは、ただ下流に水が多いという理由だけからそうなるのではない。今、お前も、着物を立派なもにして、顔色も満足な様子であるからには、天下で誰がお前のことを諌めてくれるであろうか。」

 子路は走って退出すると、服を改めてまた孔子のところへ来た。今度は、ゆったりとした様子だった。孔子は言った。「子路よ、これをしっかりと記憶しておけ。私はお前に語ろう。言葉に慎みのある者は華やかでなく、行いに慎みのある者は誇ることがない。知者ぶって自分はできる人だとするのは小人なのだ。だから、君子は知っていることは知っていると言うが、知らないことは知らないと言う。これは言うということの要である。できることはできると言って、できないことはできないと言うが、これは行いの至りというものだ。言葉に要があれば知者であり、行いが至っているのならば仁者である。既に知にして且つ仁であるならば、どうして足らないことがあるだろうか。」

七章

 子路孔子の部屋に入っていった。孔子は言った。「子路よ、知者とはどんなものか、仁者とはどんなものか」「知者は人に己のことを知らせることができ、仁者は人に己のことを愛させることができます」「それは士と言うべきだ」

 子貢が孔子の部屋に入っていった。孔子は言った。「子貢よ、知者とはどんなものか、仁者とはどんなものか」「知者は人を知ることができ、仁者は人を愛することができます」「それは士君子と言うべきだ」

 顔淵が孔子の部屋に入っていった。孔子は言った。「顔淵よ、知者とはどんなものか、仁者とはどんなものか」「知者は自ずから知ることのできる者であり、仁者とは自ずから愛することができる者です」「それは明君子と言うべきだ」

八章

 子路孔子に質問して言った。「君子でも憂えることがあるのでしょうか」

 孔子は言った。「君子はそれがまだ得られない時は、その得られていないときの心持ちを楽しむものだ。既にそれを得たとしても、それを得たことによって治まってることを楽しむ。だから、終身の間、楽しいことばかりで一日も憂えることなどない。

 これに対して小人は、まだそれを得ていない時は、その得ていないことを憂い。既にそれを得ていたとしても、これを失うことを恐れる。だから、終身の間、憂えることばかりで一日も楽しい日などない」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■八章は、本当にそうである。仏教で言うと、これこそ天国と地獄の境と言えよう。