208.荀子 現代語訳 哀公第三十一 五〜七章

五章

 魯の哀公が孔子に質問した。「紳の幅広の帯を着けて、委や章甫の冠には、人への利益があるのでしょうか。」

 孔子は何を聞くのかといった表情で答えた。「あなたさまは、どうしてそんな質問をされるのですか。喪のときに着る資衰やそのときに用いる竹の杖を身に着けている者は、音楽を聞きませんが、耳が聴こえないわけではありません。その服装がそうさせているのです。

 祭りのための礼服を着ている者が、匂いの強いネギやニラを食べないのは、味わうことができなくなったからではありません。その服装がそうさせているのです。

 また、私はこのように聞いております。商売を好んでする者は値引きをして損をすることはなく、人徳ある人は商売をしないと、このように、利益がある場合と利益がない場合を比べてみれば、一見利益のないようなことにも利益があるということが、あなたさまも理解できると思います。」

六章

 魯の哀公が孔子に質問した。「人を採用することについて教えていただけませんか。」

 孔子は答えて言った。「あまりにも活発な人を採用してはなりません。脅し文句を言ったり人を威圧する人を採用してはなりません。おしゃべりな人を採用してはなりません。あまりにも活発な人は自分勝手に自分のやりたいことをしますし、脅し文句を言ったり人を威圧する人は乱れますし、おしゃべりな人は大げさなことやハッタリを言います。だから、弓とは自分で調整して威力が強いことを求め、馬も調教して良馬となることを求めるのです。

 士は、信と愨(正直で素直なこと)が最低条件で知能はその上で求めるものなのです。士が正直でも素直でもなくて、その上で知能が多かったとすると、これを例えれば豹や狼と同じです。自分の身を近付けてはなりません。

 ことわざには、桓公は賊でさえ用いて、文公は盗人も用いた。だから、聡明な君主は、思慮や計画を第一として怒りに身を任せないが、暗君は怒りに身を任せて思慮や計画を重んじない、思慮や計画が怒りに勝る場合は強く、怒りが思慮や計画に勝る場合は亡びてしまう。とあります。

七章

 定公が顔淵に質問した。「先生も、東野子が名御者であることをご存知ですか。」

 顔淵が答えた。「善いことは善いでしょう。しかし、馬を失ってしまうかもしれません。」

 定公は、この答えに不満を感じた。顔淵と別れてから周囲の者に、「君子とは、そもそも讒言(でっちあげの悪口)を言う人なのか」と言っていた。

 その三日後、将校が来て謁見して言うには、「東野子が、馬車を駆り出していた最中に、馬が逃げてしまいました。そして、四頭立ての馬のうち、両端が手綱を切って逃げ、中の二頭だけが厩舎に入りました。」

 定公は、慌てた様子で立ち上がって言った。「すぐに走って行って顔淵を呼ぶのだ。」

 顔淵が到着すると、定公は言った。「先日、私の質問に先生が答えたとき、先生は、東野子は御者として善いは善い、けれども馬を失ってしまうでしょう、とおっしゃられました。私は、先生がどうやってこれを知ったのか分からないのです。」

 顔淵は答えて言った。「私は、政治のことと関連してこれを知りました。昔、舜は民衆を使うのが巧かったのですが、造父は馬を使うのが巧かったのです。そして、舜は民衆を困窮させることはありませんでしたし、造父は馬を追い詰めるようなことはしませんでした。こういったわけで、舜は民衆を失うことなく、造父は馬を失いませんでした。それで、東野子が馬を御すると、確かにその手綱を取る姿勢は正しく、馬車を進める様子は礼に適っております。けれども、険阻な地を経て遠いところまで行けば、馬も力を失ってしまうでしょうに、それでも馬に走ることを求めていました。だから、そのことが分かったのです。」

 定公は言った。「善し。少し進んだことを教えていただけませんか。」

 顔淵は答えた。「私はこのように聞いた事があります。鳥は行き詰まればついばみ、獣は行き詰まればつかみとり、人は行き詰まれば詐りをすると。昔から今に至るまで、未だに下の者を行き詰まらせておいて、危険に陥らなかった者はありません。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■六章は落ちている部分があるのではないか。

■七章は、韓非子にも同じ説話があったように記憶している。

■これで、荀子の翻訳も残すところ、次篇のみとなった。