207.荀子 現代語訳 哀公第三十一 三・四章

三章

 魯の哀公が、舜の冠について孔子に質問した。孔子は答えなかった。三回同じことを質問したのだけど、孔子は三回とも答えなかった。哀公が言った。「私が、舜の冠について先生に質問しているのに、どうしてお答えにならないのですか。」

 孔子は答えて言った。「昔の王者は、冠を着けずに布を巻いただけとか、服装も立派なものでない質素なものを着ただけということもありました。しかし、その政治は生を好んで殺を忌み嫌うものでした。こうったわけで、鳳凰が樹に止まり、麒麟は郊外の野原に出現して、カササギの巣も見下ろせる低い位置にかけられたのです。あなたさまは、このことを問わないで舜の冠について問いました。これが答えなかった理由です。」

四章

 魯の哀公が孔子に質問した。「私は、宮殿の奥深くで生まれて、婦人の手で育てられました。だから、私は未だかつて哀しみを知りません。憂いも、苦労も、怖れも、危険も、未だかつて知らないのです。」

 孔子は言った。「あなたさまの質問したことは、聖君の問と言うべきものです。私はつまらない小人ですから、それについて知りません。」

 「あなたにしかこのことを聞けないのです。」

 孔子は言った。「あなたさまが、ご先祖の廟堂に入って、右から登って先祖供養の祭りをするとき、仰ぎ見ては棟木や垂木を見て、足元の敷物や器があるわけですが、これを使っていたあなたの父祖はもうおらず、これらの器物は空っぽです。このことについて哀しみを考えれば、哀しみの情も自然と湧き上がって来ましょう。

 あなたさまが、冠を着けて正装し、明け方から政治の話を聴くとき、一つでも判断を失敗すればそれは混乱の発端になります。このことについて憂いを考えれば、憂いの情も自然と湧き上がって来ましょう。

 あなたさまが、明け方から政治の話を聴いて日も傾いて退出するとき、そこには諸侯の子孫で必ずその庭に居る者があります。この人たちのことについて苦労を考えれば、苦労という言葉の意味も自然と分かってきましょう。

 あなたさまが、魯の四方の門を出て郊外を望むとき、亡びてしまった国の廃墟が数区画見えます。このことについて恐れを考えれば、恐れの情も自然と湧き上がって来ましょう。

 それと、私はこのように聞いております。君主は船で庶民は水であり、水は船を覆すと。このことについて危険を考えれば、危ぶむという情も自然と湧き上がって来ましょう。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■昔の王子とは、今のボンボンよりも世間知らずなのかもしれない。