209.荀子 現代語訳 堯問第三十二 一〜三章

堯問第三十二

一章

 堯は舜に質問した。「私は天下がこちらにやってくるようにしたいだ。どうしたらよいだろうか。」

 答えて、「一を執り守って失わないようにして、微かなことを行って怠ることなく、裏表なくまごころを大切にして離れることがなければ、天下の方から自ずからやってくるでしょう。一を執り守ることは天地のようにして、微かなことを行うことは日月のようにして、忠誠は心の内で盛んになるようにしていると外に発露して四海にさえ表れます。天下とはある一部分にだけあるものではありません。どうしてまとまってこっちにやってくるということがあるでしょうか。」

二章

 魏の武侯は、事業の相談をするとその予測がよく当たって、多くの臣下たちは武侯に及ぶことができなかった。武侯は政治の議場から退出すると、嬉しそうな顔をしていた。呉起が進み出て言った。「かつて、あなたさまに楚の荘王の話を伝えた側近はいらっしゃいますか。」

 武侯は言った。「楚の荘王の話とは何か。」

 呉起は答えた。「楚の荘王は、事業の相談をしてその予測がよく当たっていました。そして、多くの臣下たちが自分に及ぶことができなかったとき、議場から退出して物憂げな顔をしていました。すると、申公巫臣が進み出て質問するには、王はどうして政治の話し合いの後でそんな物憂げな顔をしているのですか。ということでした。

 荘王は答えて、この私が事業の相談をしてその予測がよく当たり、多くの臣下は私に遠く及ばなかったのだ。このために憂えている。かの殷の賢臣の仲キの言葉にも、諸侯で師を得ることができれば王者となり、友を得ることができれば覇者となり、自分を疑う臣下があればなんとか国を存立することができ、自分自身で謀り事をして誰も着いてこれないようならその国は亡んでしまう。とあるではないか。私は不肖な愚か者であるのに、多くの臣下は私に遠く及ばなかった。我が国もすぐに亡んでしまうのではないか。このために憂えていたのだ。と言いました。

 つまり、楚の荘王は憂えたのです。それなのに、あなたさまは喜んでいらっしゃる。」

 武侯は呉起の周りを回って再拝する礼をすると言った。「天は、先生を使わして、このわたしの過ちを救ってくださった。」

三章

 周公旦の息子の伯禽が、これから封ぜられた魯の地に旅立とうとするとき、周公旦は伯禽のつきぞえの人に言った。「おまえはこれから旅立つところだが、おまえの主人の美徳をなにか知っているか。」

 つきぞえの人は答えた。「その人となりは寛大で、好んで自分で何にでも取り組んで、慎みを忘れません。この三つのことが美徳と言えるでしょう。」

 周公旦は言った。「ああ、人の悪い点を美徳と言うのか。

 君子とは道徳を好むもので、それだからこそ民衆も道に感化される。けれど、寛大とは許されざることへの弁えがないからそうなってしまうものである。それなのに、お前はこれを褒めた。

 かの好んで自分で何にでも取り組むことは、器が小さくて人に任せられないからそうなってしまうのだ。君子の力が牛ほどのものであったとしても、君子は牛と力比べをしない。走ることも馬ほど早くても、君子は馬と競争などしない。知が士と匹敵するものでも、君子は士と知恵比べなどしない。かの争いや競争とは、同じくらいの力がある者がしようとするものだ。それなのに、お前はこれを褒めた。

 慎んでいるのは見識が浅いからそうなってしまうのだ。私はこのように聞いたことがある。士と会見するときは身分を気にしてはならない。と。また、士に会見するときは質問をして、明らかさを失ってはならない。と。質問しなければ何かに到達することはできず、到達することが少ないならば見識は浅くなる。見識が浅いことは賤しい人の道だ。それなのに、おまえはこれを褒めた。

 私はお前に語ろう。私は文王の子で、武王の弟で、成王の叔父である。私は天下において、決して賤しい身分ではない。そうではあっても、私に礼物を送って話をしたいという人は十人ほどしか居なかったし、送られた礼物に返礼をして対等の立場で会見した人は三十人ばかりであった。これに対して、私のほうが容貌を整えて待った人は百人であったし、私が長い間待ってでも全てを語ってくださいと頼んだ人は千人以上居た。

 これだけの人と会見をして、やっと三人の士を得て、こうして自分の身を正すことができて天下を定めることができた。私が三人の士を得たのは、十人と三十人の中でなくて、百人と千人の方の中にあった。だから、上士には私もさほど気を使わないが、下士には私も厚く気を使う。

 人々は、私のことを身分を気にしないで士を好む人だと言うけれど、このために士が来るようになって、士が来るようになってやっと物事が分かるようになり、物事が分かるようになってやっと是非の判断ができるようになる。

 このことについて深い戒めを持つことだ。おまえが魯の国に赴いて人に驕った態度で接するならば、その身は危うくなるだろう。爵祿のことばかりを考えている士に驕るのならまだいいが、身を正している士に驕ってはならない。かの身を正している士は、身分を捨てて賤しいことに甘んじ、富を捨てて貧乏を楽しみ、安楽を捨てて苦労を買って、顔色が青ざめるのを通り越して黒くなってもその守り所が失われない。こういったわけで、天下の文化の歴史が途絶えず、美しい文と、それの織りなす綾模様が廃れないのだ。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■これで翻訳も残す所あと一回分となった。

■堯問篇は学者の通説で、荀子の作ではないだろう。ということになっている。翻訳した感想からすると、文体や題材としては秀逸だが、少しだけ荀子の王道思想の奥義には達しておらず、もしかしたら門下生であった韓非の作かもしれないと思われた。