学問のすすめ 要約 三篇

三編 国の独立と人民の独立

国は同等なること

第一段落
 一人が一人に対して力の強さだけによって無理を加えるなら、それは、二人が二人に対して無理を加えるのと、権利を無理に侵害しているという点で何ら変わりがない。だから、人の権利が同等であることと同様に、国の権利も同等なのである。よって、これが本来の道理であるけれども、国の中には、力が強いという有様の違いだけによって無理を加える国もあり、こういった国に対しては、国の威光を落とさぬよう日本国民が力を合わせて努力をしなければならない。では、日本国民が力を合わせるとはどうったことか、それは、国民それぞれが学問に励んで一身の独立を果たすことである。これができて後、一国も独立することができる。

一身独立して一国独立すること

 前に述べたように、国と国とは同等であるのだけど、国中の人民に独立の気力がないときは一国の権義を思う存分発揮することはできない。その次第は次の三カ条である。

第一条 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。

第二段落
 独立とは、自分だけの智慮や財産を頼んで、他によりすがる気持ちのないことである。だから、もし人民が智者の指し示す方向にただ従っているだけだったとしたら、それは独立していることにはならない。そして、これを突き詰めてみれば、国の主人は智者であって国は智者が運営し、その他の人民はこの運営されている国によりすがり、そこをたまたま宿としているだけの客ということになる。こういったことであると、宿屋の客が宿屋を敵から守るためには命をかけないように、人民は国を守るために命をかけないということになってしまう。

第三段落
 こういったわけで、諸外国から日本を守るためには、国民一人一人が、ここは自分の国であり、ここは自分の家にも等しいものであると思って、そう思うことによって自分の国を守るという自分の職分(つとめ)を果たさなければならない。また、そのためには、為政者はあくまで便利の上で役割分担をしているだけの人達だと思うことと、自分はこの国に住んでいることで自由自在の権利があるのだとうことを自覚する必要がある。

第四段落
 この違いの要所は、戦国時代の駿河の今川家と二三年前のフランスの違いにあるだろう。今川義元織田信長によって桶狭間で殺された時、今川家は一瞬にして崩壊してしまった。これに対してフランスは、普仏戦争のとき、時の皇帝ナポレオン三世が捕えられたにも関わらず、さらに奮戦して国を守ったのである。そして、この二つの話にある違いの根本こそ、人民に独立の気力があったかどうかなのである。義元に頼っていただけの駿河武士と、自分の国は自分で守るという独立の気力があったフランス戦士との違いである。だから、独立の気力がある人こそ、国を思うこと親切であるのだ。

第二条 内に居て独立の地位を得ることができない者は、外に在って外国人と接する時も、独立の権義を発揮することはできない。

第五段落
 独立の気力がない人は必ず人に頼る、人に頼る人は必ず人を恐れる、そして人を恐れる人は必ず人に諂(へつら)うものである。こういった現在の臆病神の手下とも言える日本の国民性は、江戸時代の政治体制と関わりの深いものである。これは当時は便利なものであったけれど、現在では一国の損失と一国の恥辱の本となっている。なぜなら、こういった町人根性があることによって、初めて見る外国人を見て驚き、肝を抜かれ、恐れてしまうからである。だからこそ、普段の国内に居るときから、人に頼らない独立の気力を持たなければならない。

第三条 独立の気力がない者は、人に頼んで悪事をすることがある。

第六段落
 旧幕府の時代には、徳川家の名を借りて、金貸しをする名目金というものがあった。これは、人の威を借りて金を返せというやり方であり、卑怯であることこの上ない。そして、こういった人の名を借りてやるやり方は、人に頼るという独立の気力がないことによって起こる悪事である。もしも今、外国人の名を借りて悪事をしている者があるのなら、これはまさに国の禍(わざわい)である。独立の気力がないことを便利だなどと言っていることはできない。

第七段落
 これらの三カ条に言うところは、全部、人民に独立の心が無いことによる災害である。愛国の思いがある者は、公私を問わずまず自分の独立を謀り、余力があったら他人の独立を助けるべきである。人を束縛してひとり自分だけで心配していることは、人を放って一緒に苦楽を共にすることに及ばないのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536