22.学問のすすめ 現代語訳 五編 第一〜六段落

五編

第一段落

 学問のすすめは、もとは民間の読本か、義務教育の教科書として書いたものであるから、初編から二編三編はなるべく一般的な話し言葉を使って文章を読みやすくすること第一としていたのだけど、四編では少し文体を改めて難しい言葉を用いたところもある。この五編も、明治七年一月一日、社内の会合の時に述べたことを文章にしたものであるから、文章の体裁も四編と同じで少し難しいかもしれない。

 このことは、四編と五編とが、学者を相手にして論を立てたものであるからこのようになったっているのである。世の中の学者は、大概腰ぬけばかりでその気力は不確かなものであるのだけど、文字を見る目はなかなか確かなもので、どんな難文でも困る者はないから、この二冊には遠慮なく文章を難しく書いてその意味も自ずから高尚にして、このために民間の読本であるべき学問のすすめの趣意を失ってしまったのは、初学の人に対して甚だ気の毒なことである。けれども、六編より後は、またものとの体裁に戻して、専ら分かりやすいことを主眼にして初学の人に便利になるようにし、さらに難文も用いることもないから、この二冊を読んだだけで全部の難易度を評価することのないようにしていただきたい。

第二段落

明治七年一月一日の詞

 私は今日、慶応義塾に在って明治七年一月一日を迎えることとなった。この年号は我が国独立の年号であり、この塾は私の社会独立の塾である。独立の塾に居て独立の新年を迎えることができることは、また悦ばしいことである。

 ただし、これを喜ぶことができるということは、いつかこれを失えば悲しみとなるようなことである。だから、今日喜ぶことがある時は必ず他日に悲しむべきことがあることを忘れてはならない。

第三段落

 古来から、我が国の治乱の沿革によって政府はしばしば改まってはいるのだけど、今日までなんとか独立を保ってこれた理由は、国民が鎖国の風習に安んじて、治乱興国が外国と関係したものではなかったからである。

 外国に関係がないのなら、治まっているときも一国内の治であり、乱れているのも一国内の乱であり、またこの治乱を経て、失っていない独立もただ一国内の独立でしかなくて、これらは未だに他に対して争ったものではない。これを例えると、幼子が家の中で育てられてまだ家の外の人に出会ったこともなないようなものである。その薄弱であることは、簡単に知ることができる。

第四段落

 今や外国との交際がにわかに開けて、国内の事務の一つとして外国に関係がないことは無くなった。そして、事ごとについて皆外国に比較して処置をとらないではおれないような情勢となった。しかし、古来からわが国人の力で達し得た文明の有様を、西洋諸国の有様と比較してみると、外国を強いと認めてその優位を譲ることを認めるばかりでなく、これに習おうとして西洋諸国を羨望するような状況も免れることもできなくて、ますます我らの独立が薄弱であることを知ることになる。

第五段落

 国の文明は、形として現れたものだけでこれを評価してはならない。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍といっても、これらは全部文明の形でしかない。これらの形を作ることはそれほど難しいことではなく、ただ銭で買うことができるものではあるのだけど、ここにはまた無形の一物がある。これは何であるか。目で見ることもできないし、耳で聞くこともできないし、売買することもできない、貸し借りすることもできない、あまねく国人の間に位してその作用は甚だ強いもので、この一物が無かったら、かの学校以下のものも実際の役には立たない。しかしこれこそ、真に文明の精神と言うべき至大至重のものである。ではこのものとは一体何であるのか。そう、これこそが、人民独立の気力なのである。

第六段落

 最近我が政府は、しきりに学校を建てて工業を勧めて、陸海軍の編成も大きくその面目を改めて、文明の形だけなら、それなりにほぼ備わったようであるのだけど、人民には、外国に対して我らの独立を固くして、共に先を争おうという者はいない。

 ただこれと争おうとしないばかりか、たまたま外国の事情を知る機会があった人でも、外国の事を詳しく知ろうともせずに、取り敢えず外国を恐れるばかりである。

 他に対して既に恐怖の念を抱くときは、たとえ少しは自分に得るようなところがあったとしてもこれを外に行うことはできない。だから、つまるところ人民に独立の気力がないのならば、かの文明の形も遂には無用の長物となってしまうのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■福沢が第三段落で述べていることは現在でもよく言われていることである。つまり、日本は鎖国をしていたから、外交のノウハウやそういった地盤が少なく、そのことが少なからず現在にも影響しているということ。

■ここでというか一貫して、福沢は、人民に独立の気力がないことを、当時の日本の問題だと捉えていたようである。さきほどの記事にも、私が記したように、この「国民自身を批判の対象とする」ことは間違っていないし、とても正しいことと思う。だが、現在の日本にこの独立の気力がないことが問題のタネであるのかどうかは、即刻当てはめることのできないことであるとは思う。ただし、何らかの気力がないために、義務教育も、大学教育も、商売も、自衛隊も、テレビも、新聞も、政府自体も、何の用も成さない無用の長物であり、無用の長物で迷惑をかけないのならまだマシというものだけど、かえって害を為すようなものになっていることは考慮の余地があると思う。そして、この気力こそ、この人類工業化革命終盤に至って、この社会に必要とされているもののように思う。「真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のもの」現在求められているこれは一体何なのだろうか。


要約

第一段落
 この五編は、社内で学者相手に発表したものを文章にしたものであるし、先の四編も学者相手に書いたものであるから、少し内容が難しくなっているかもしれない。学問のすすめは、初学の人や義務教育の生徒のためのものであるから、また次からはわかりやすい文章にしようと思う。

第二段落
 明治七年一月一日、この日を、明治と言う我が国の独立の年号と、慶応義塾という我が社会独立の場所とで迎えられたことはうれしい限りである。

第三段落
 歴史を遡ってみれば、我が日本は、鎖国して、井の中の蛙として今まで独立を保ってきただけである。

第四段落
 しかし、時代は変わって、外国との国交が開けて、なにごとも外国を考慮に入れないというわけにはいかなくなった。そうして比較をしてみると、我が国が貧弱であることを認めざるを得ない。

第五段落
 また、国の文明というものを、目に見えるものだけで判断してはならない。目に見えない重要なもの、つまり「人民独立の気力」こそが大事なのである。

第六段落
 そうであるのに、外国を見ては恐れるばかりで、これでは「人民独立の気力」があるはずもなく、このままでは、目に見える文明も無用の長物となってしまう。