142.荀子 現代語訳 禮論第十九 二〜四編

二章

 禮には三つの本がある。

 天地は生の本であり、先祖は類(人類)の本であり、君師は治の本である。

 天地が無ければどうして生きることができようか、先祖が無ければどうしてこの世に出ることができようか、君師が無ければどうして治まることがあろうか。

 この三つのうちどれか一つでも欠ければ安泰である人などいない。この故に禮とは、上は天に仕えて下は地に仕えて、先祖を尊び、君師を第一のものとして貴ぶ。これが禮の三本である。

三章

 この故に王者は太祖を天として、諸侯は進んで自らのお社を絶つようなことはなく、士大夫には親戚一同で常とする先祖があるのである。始めを貴ぶことを弁別する理由として始めを貴ぶのならば、それは徳の本である。

 郊の祭りは天子に止まり、そうして社の祭りが諸侯まで至り、これがけん引役となって士大夫にまで及ぶ。この禮の制度は、尊者は尊に仕えて卑者は卑に仕えて、大であってしかるべき者は大であり、小であってしかるべき者は小であるべきことの別が理由となっているのである。

 この故に、天下を保つ者は七世に仕えて、一国を保つ者は五世に仕えて、五乗の地を保つ者は三世に仕えて、三乗の地を保つ者は二世に仕えて、手仕事をしている者はお社を立てることができない。この禮の制度は、積むことが厚ければそれの及ぼす恩沢も広く、積むことが薄ければそれの及ぼす恩沢も狭いことの別が理由となっているのである。

四章

 三年に一度先祖に対して行う祭りでは、水を入れた器を上に置いて、生魚を机に置いて、味付けしていない肉のスープを勧めるのであるが、これは飲食の根本であるまだ手の加わらない初物を貴んだものである。

 四季ごとにお社で行う祭りでは、水の器を上段に置いたうえで、酒や甘酒を使い、黍やうるちきびを勧めた上で稲や粟ををお供えしする。月ごとの祭りでは、味付けしていない肉のスープを捧げた上で、他のお供えもするのであるが、これは、飲食の根本であるまだ手の加わらない初物を貴んだ上で、実用に近付いたものである。

 本を貴ぶことを文と言って、実用に近付くことを理と言って、両者が合わさって文(あや)を成し、そうして大一に帰する。こういったことを大隆と言う。

 この故に、水を入れた器を上にすることと、生魚を上にすることと、味付けしていない肉のスープを先にお供えすることとは、根本を貴ぶ点で同一のことなのである。
 祭りで杯の酒を飲み干さないことと、葬式で泣き叫ぶ儀式が終わった後は机の魚を食べないことと、儀式で三度の飯食が終わったらもう何も口にしないのは、儀式の終わりを慎む点で同一のことなのである。
 婚礼で父親が息子に酒をついでから迎えにいかせるのであるがまだそれをしない時と、お社の祭りでまだ御霊を中に容れていない時と、死んだばかりでまだ死者が死装束をしていないときとは、禮の初めの粗略な点で同一なのである。
 天子の車である大路が白絹で覆いをするのと、天を祭るお祭りで麻布の冠を付けるのと、喪服には垂れ下がった麻帯を付けるのとは、質素に従うと点で同一なのである。
 父母のための葬式では泣き叫ぶのにまっすぐ泣き叫んで節をつけないのと、清廟の歌を歌うのに一人がはじめに唱えてそれに三人だけが和して声を引くのと、大祭祀の音楽では一つの鐘だけを上位にして瑟の弦は朱色にして底に穴を空けてにぶい音が出るようにするのとは、質素に従うという点で同一なのである。

 そもそも禮とは、脱(粗略)に始まって、文(根本への修飾)に成り、悦恔(こころのよろこびを交えること)に終わる。

 この故に、至備というべき禮では情と文とがともに尽くされて、その次は情と文とが代わる代わるに勝り、劣ったものは情ばかりが目立つが根本原理には帰一している。

 天地を合して、日月は明らかで、四季には秩序があり、星たちは廻って、江河は流れて、万物は盛んに、好悪にも節操があり、喜怒も度を過ぎることがない。下位となれば上の善に従って、上位となれば明らかであり、万変して乱れず、これに違えば喪失する。どうして禮を至っていないなどとできるだろうか。

 本末はお互いに従いあって始終で相応じあって、至文でありながら別があり至察にして説があり、天下でこれに従う者は治まり従わない者は乱れ、これに従う者は安泰であり従わない者は危険に陥り、これに従う者は存してこれに従わない者は亡ぶ。小人ではこの禮の効用を推し測ることはできない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ここでは、儀式という意味での禮と、その禮の意味、その禮の効果について述べている。現代の祭りの儀式でも、ここに書かれていることが脈々と残されていると思う。しかし、現代では、儀式としての禮は、ほととんど意味を成さなくなってしまっている。だが、それでも地域に伝統の祭りが残っているのは、それに何らかの意味があるからであろう。そして、その意味がもしも分かるのなら、それは聖人であるということであって、私には到底分らないことである。