韓非子を読み終わって

 とても面白い書物であった。

 私が読んだのは、岩波文庫版(全四巻)なのだけど、この「あとがき」に書かれている金谷治氏のことばが特に興味深い。彼がこの翻訳をしようと思ったきっかけが、中国「文学」の教授が、この書物こそ一番面白いと言ったことだったそうだ。私も完全に同意する。とにかく面白かった。

 ただ、金谷氏の篇第の解説に、「後代の学者が書いたものだろう」的なことが書かれているところは、明らかにその他のところに劣るのであって、あまり面白くない。そこは、飛ばして読んでもいいと思う。

 韓非子の思想を一括すると、やっぱり「法術」のひとことに尽きる。いや、韓非子の思想を全く説明していないではないかと思われるかもしれないが、それ以外に表現のしようがないのであって、さらにそれは韓非子を通読することでしか把握できないものなのである。唯一、私が「法術」について説明できることは、国家のためのものということである。国家の安泰が人民の安泰に直結していたであろう春秋戦国時代のことを考えると、その法術自体の冷酷さに反した韓非の温かさが忍ばれて思わず感動して涙ぐんでしまう。あと、荀子を今読んでいるのだけど、韓非が、その師である荀子をどれだけ慕っていたのか、ということも忍ばれてやはり涙ぐんでしまう。

 だが、韓非子を読む上での唯一の弱点は、名文であるところほど、夜寝る前に読んではならない。ということである。いろいろな意味で眠れなくなる。「孤憤」はその顕著な例で、読むと、まともな良識を持っている人間なら絶対に眠れなくなるだろう。だが、何度も読んで、骨身にしみこませておきたいことでもある。

 もしも、守らなければならない「組織的な何か」があるならば、韓非子を勉強することはとても大事なことだと思う。つまり、法術は、「組織」の「長」であるときに最も有用なものなのであり、それ以外の場合では、あまり有用ではなく、むしろ、ある人にとっては悪徳を遂行するために有用なものとさえなる。面白いが、人を疑うための書物であって、よほどの精神力を備えていないと、有用することはできないとも思う。人を疑い、そして知ることは、想像以上につらい。

韓非子はこれ以上なく冷酷だが、韓非はそれ以上なく優しい。