荀子を訳すことにした

最近、荀子を読んでいるのだけど、やっぱり荀子はすごい。

まず、とにかく明晰、そして、的確。これは、読んでもらえばすぐわかることと思う。

あと、比喩が豊富で論調が整っている。韓非子と比べると、少し無骨というか、洗練されていないというか、玄妙というかではあるのだけど、間違いなく韓非の師匠という感じがする。

荀子は「弁」(辡:旧字体)という文字をよく使用しているのだけど、まさに、弁別する、弁えるという能力に非常に長けていると思う。あと、東洋で術(方法論)という概念を確立したのも荀子で間違いないと思う。さらに、利害を同時に見るバランス感覚にも優れている。

荀子を訳そうと思った一番のきっかけは、荀子があまり有名な書物でないことだ。岩波文庫のものも、「これいつの活字板つかっとるの?」という有様の物であるうえに、細かい解説がないから読みにくい。アマゾンでも調べてみたけど、荀子に関する本は圧倒的に少ない。このような書物が多くの人の目に触れないことはもったいない以外のどんな言葉でも表現することができない。

この不人気には歴史的経緯もあって、朱子学の経典として朱子に取り上げられなかったという経緯がある。それに、確かに、荀子は難しい。ある程度四書を読みこまないと理解するのは難しいかもしれない。

ただ、内容は、現代でも十分役に立つようなものである。栄辱編というところを読んでいて特にそう思った。そこで、多くの人に役立てていただけるだろうということもあって訳してみようと思った。

そもそも荀子は難しいので、なんとかわかりやすくするために、例えを現代風に変えたり、かなり言葉を補ったりするかもしれない。しかし、それだと荀子の良さを殺いでしまうかもしれない。そのあたりに留意しながら、少しずつやっていってみようと思う。ただし、前、荀子の天論の訳を途中でやめているので、難しくなったら途中でやめるかもしれない。