荀子を読んでいて8

 遂に荀子を読み終わった。

 とても良い書物であったと思う。だが、難しかった。

 そして、荀況という人物は、間違いなく、不遇な青年・壮年時代を過ごした人であったとも思う。つまり、才能があって賢いことが原因で、いろいろな人に足を引っ張られ、また、それらが原因で日の目をみることはできなかったのに、それに耐えた上で、さらに勉学を忘れなかった人物であろうということだ。きっと、自分が納得いくところまで勉強して、そのとき初めて、自らその不遇な境遇を抜け出たのではないかと思う。このことは、韓非子の法術思想に色濃く残されていると言っても過言でないと思う。

 そんな荀子のことを考えていたら、「人類の歴史において、道(理想的な政治)が行われたことなんて一度も無かったし、これからも永遠に無いんじゃないだろうか」という、なんというか矛盾じみた、なんとも言えない気持ちになった。なぜなら、荀子は、その実現し得ない理想的な「道」のことについて、延々と懇懇と述べているからである。このなんとも言えない気持ちは、荀子を通読した人にしか味わえないかもしれない。

 だが、しかし、荀子が現代の日本を見たら、とても驚くとも思う。彼の生きていた春秋戦国時代に比べたら、現代の日本の人民がどれだけで幸福で、道にほとんど近い生活をしていることか。荀子がそう思うであろうことは、簡単に想像することができる。だが、荀子は、それに満足せずに、またさらなる理想の「道」について、延々と懇懇と考え出すとも思う。