10.学問のすすめ 現代語訳 二編 第三・第四段落

二編 第三段落

 今まで述べた議論を世の中のことに当てはめてみる。すると、旧幕府の時代には、士(侍)とその他の民との身分の差が甚だしくて、士族はみだりに権威を振って、百姓や町人への扱いはまるで罪人を扱うかのようであり、「切り捨て御免」という法もあった。この法によると、平民の生命はその平民自身の生命でなくて借り物に他ならなかった。百姓他、平民は縁もゆかりもない士族に平身低頭し、外では道を避け、内では席を譲り、甚だしいことには自分の家で飼っている馬にも乗れないとほどの不便を強いられていた。これらは、ほんとうに「けしからん」ことだ。

二編 第四段落

 こういったことは、士族と平民と一人ずつ対したときの不平等であるけれど、政府と人民との間に至っては、なおこれよりも見苦しいことがった。幕府はもちろん、三百ある諸候(お殿様)の領内にまで小政府を立てて、百姓町人を勝手次第に取扱い、時には慈悲に似たようなこともあったけれど、その実としては人の持ち前の権利通義を認めることではなくて、実に見るに忍びないことが多かった。

 そもそも、政府と人民との間柄というものは、前にも言ったように、ただ強弱の有様が違うだけであって、権利の違いはないはずなのである。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売買して世の便利を達する。こういったことがすなわち百姓や町人の商売である。また、政府とは、法令を設けて悪人を制し善人を保護するものである。そして、これがすなわち、政府の商売なのである。

 この政府の商売をするためには莫大な資金が必要だが、政府には米も金もないため、百姓や町人に年貢運上を出してもらって政府の収入を賄っている。本来このように、双方一致の上で相談を取り決めているものである。そして、これがすなわち、政府と人民との約束である。

 ならば、百姓町人は、年貢運上を出すことによって固く国法を守れば、その職分(つとめ)を尽くしていると言うべきであり、政府は、年貢運上を受け取って正しくそれを使うことで人民を保護したのならば、その職分を尽くしているというべきである。

 このように、双方が、その職分を尽くして約束を破っていないのならば、これ以上は何の申し分もあってはならない。おのおのがその権利通義をたくましくして少しも妨げをするということはあり得ないのである。

 そうであるはずなのだけど、幕府の時は政府のことを御上様と唱え、御上の御用とあれば馬鹿に威光を振うのみならず、道中の旅館でまでもただ飯を食い倒し、川渡しにもお金を払わず、荷物持ちにも給料を払わずに、甚だしい場合ではその荷物持ちを恐喝して酒代を巻き上げるといったようなこともあった。こういったことは沙汰の限りというもである。

 または、とのさまの趣味のものずきで大きな建物を建てたり、役人のとのさまへの配慮でどうでもいいようなことをやり始め、こういった無益なことをして金を使い果たすと、今度は言葉をいろいろと飾って年貢を増やし御用金を言い付け、これを御国恩に報いると言う。そもそも御国恩とは何のことを言っているのだ。

 百姓町人が安穏に家業を営んで盗賊や人殺しの心配もなく生活できることを、政府の御恩というべきである。しかし、そもそもこのようにして安穏に生活できるのは、政府の法があるためではあるけれども、法を設けて人民を保護することは政府の商売柄当然の職分なのである。ならば、これは御恩と言うべきものではない。

 もしも、政府が人民に対して、この保護することをもって御恩と言うのならば、百姓や町人は、年貢運上を納めていることを政府に対して御恩だとすることができる。政府が、公共の行事や裁判をしていることを偉ぶって「お前たちは政府の御厄介になっているではないか」と言うのならば、人民も、年貢を収穫の五割も納めていることを「政府も年貢の御厄介になっているではないか」と言ってやるべきである。しかし、これでは、売り言葉に買い言葉で、果てしないことになってしまう。だから、とにもかくにも、お互いに等しく恩のあるものであるならば、片方だけが礼を言って、もう片方は礼を言わなくていいという道理はないのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■ここでも、少し現代との違いを感じた。つまり、現在は、この「お上vs下々」という図式は、このころほどはっきりとはしていないということである。そうして考えてみるに、民主主義が確立して、「政府と自分は同一のものである」という正しい見解が少なからず常識となっているわけである。むしろ現代で「お上はほんとにわがままだから」といったような理論を立てる人はほとんどいないわけで、お上を揶揄するときは「お上はほんとに隠れて上手にやるから」という理論になっているわけである。

■上とは逆に、現在と全く変わっていないこともある。それは、お互いの職分(義務・つとめ)のことである。これは日本国憲法、第三章、第十条から第四十条にも「国民の権利及び義務」として明記されていることだから、各自確認されたい。

■この国家と国民の関係の叙述方法は、西洋のものとほとんど逆と言っても過言ではない。例えば、ロックの市民政府論、プラトンの国家、マルクス資本論には、社会の成り立ち方、つまり、社会がどのように成り立ったのかということが原始時代にまで遡って書かれている。そこで、たまたま「人をまとめる能力があった人」が王になったのであって云々などである。(その書に応じてここからは違うのだけど)こういったように、とにかく遡って政府や人民の在り方を論究したり模索している。しかし、福沢は、そんなことには触れず「政府と人民ありき」から全てが始まっている。こういったことは、前も述べたように、明治維新の特徴かもしれない。▼または、そのように遡って論ずると「天皇制」に疑問を持たせるような内容になってしまうので、敢えて配慮してその方法は取らなかったのかもしれない。


要約

第三段落
 旧幕府時代には、「切り捨て御免」や、武士以外の名字の禁止、平民は自分の家で飼っている馬にも乗れないなどの、あまりにもけしからんことがあった。

第四段落
 政府と人民の違いは、本来は強弱の有様だけなのであって、権利通義までが違うとうわけではないのである。そうであるのに、政府は人民に恩があるとして、多くの理不尽を働いていたのである。それにそもそも、政府には米も金もなくて、これは人民が納めていたものである。

 そうであるならば、政府が法を施行して善人を保護し国を保ってこれを平民への恩とするのなら、平民は米や金を納めることを政府への恩とすることができるはずである。だから、この二者の関係は、お互いに約束をしてお互いの義務を果たしているだけであり、どちらもお互いに礼をしなければならない関係にあるのである。