9.学問のすすめ 現代語訳 二編 第二段落

二編 第二段落

 こういったように人は同じく天から造られたものであるのだから、人と人とを比べてみればこれは全て同等であると言える。ただし、その同等とは有様が同じであることを言うのではない、権利通義が同じであると言っているのだ。

 その有様を論ずると、貧富強弱智愚の差があることは甚だしい。たとえば、大名や華族で御殿に住んで良い服を着て良い食べ物を食べている人もいれば、雇われ人で店の物置に下宿して今日の衣食に差支えのある人もいる。才知たくましく役人や商人になって天下を動かす者もいれば、智恵も分別もなくて一生小さな駄菓子屋を営んでいる人もいる。強い相撲取りもいれば、か弱いお姫様もいる。こういったように有様について論ずると、そこには雲泥の差がある。しかし、また別の視点からこのことを考えて、その人々の権利通義について論ずるときは、どのように考えたところで、この人々は同等であって軽重の差は毛ほどもないわけである。

 つまり、その権利通義とは、人々が自分の命を重んじ、自分の財産を守り、自分の名誉と尊厳を大切にするといった大義のことなのである。天が人を生ずると、天は人に体と心の働きを与えて、人々に自ずからこの通義を実現させようと思わせる仕掛けを施す。だから、どんなことがあっても、人の力でこの権利通義を害しようとしてはならない。

 大名の命であっても貧しい雇われ人の命であっても、命の重さは同じなのである。世の悪いことわざに、「泣く子と地頭には叶わず」とか「親と主人は無理をいうもの」といったのがある。そして、こういった言葉を持ち出しては、人の権利通義を曲げられるようなもののように言う人もいるのだけど、これは有様と通義の違いを分かっていない人の理論である。

 地頭と百姓とは、有様は異なっているのだけど権利に関してはなんら異なっていない。百姓が痛いと思うことはやはり地頭も痛いと思うはずであるし、地頭が食べて甘いと思うものはやはり百姓が食べても甘いと思うはずである。

 そして、痛いことは避けて甘いものを取ろうとすることは人の人情であり、他の人に迷惑をかけないようにして、したいことをするをすることが権利である。この権利に関しては、地頭と百姓の間に軽重の差はないのである。ただ、地頭は富んでいて強く、百姓は貧しくて弱いというだけのことである。貧富と強弱は人の有様であって、そもそも同じであるはずがない。

 もし、富強の勢いで貧弱の人に無理を加えようとするならば、有様が違うことをいいことに権利を侵害することに他ならないのではないか。これは例えるならば、力持ちが自分の腕には力があると言って、その力の勢いでもって隣の人の腕を折るような話である。その隣の人の力はもちろんその力持ちよりも弱いだろうけど、力が弱ければ弱いなりに、その腕を使って自分の便利を達しても何の差支えもないはずである。なのに、なんの言われもなく力持ちに腕を折られるなら迷惑至極と言うべきものである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


考察及び感想

■有様(たまたまその人が置かれている状況)と権利(そもそも人に与えられていること)は違う。だが、混同し易い。これは恐らく、社会契約論あたりの啓蒙書に書かれていることではないか。また、権利とは社会によって保障されなければ意味が無いものでもある。この福沢の例えを少し解説すると、貧弱な人が自分の腕を自由に使おうとすることは、古今東西に渡って揺らぐことのない人の権利である。しかし、原始時代のようなときに、何らかの理由で腕が折られても、これを裁判を通じて補償を求めたりするような権利はないわけである。現代では、政府などによって、この「腕を自由に使う権利」と「不服がある場合は裁判などをする権利」が保障されているから、その権利が有効なものとなっているに過ぎない。だから、ここを読んで勘違いしてならないのは、例えば会社などでは上司に「命令をする権利」があるのであって、これは有様から生じていることなのだけど、従わなければならないのである。しかし、その命令が「あいつのプライバシーを侵害して来い」と言ったような、「国家で保障されている権利」に反する命令である場合には、「裁判する権利」などを使えるわけである。「権利だ権利だ」と言って、権利を逆手にとって勝手わがまますることは、権利を逆手にとった暴力と言えるだろう。


要約

人が同じく天からもらったものは、あくまでも権利のみである。たまたまその人が置かれている状況は有様と言う。有様は違っていて然りであるけれども、この有様の強さを利用して権利を侵害するのなら、それは権利の意味をわかってないのである。有様の強さで無理強いをするのなら、それは例えば、力の強い人が隣の人の腕を折ってしまうことと何ら違うことはない。