28.学問のすすめ 現代語訳 六編 第六・七段落

第六段落

 昔は、日本で百姓町人といったやからが、士族に対して無礼を加えた場合の切り捨て御免という法があった。これは、政府が公に私裁を許したものである。なんとけしからんことであろうか。全て一国の法は唯一政府によって施行するべきものであって、その法の出る所が多ければその権力が弱くなることも必然である。たとえば、旧幕府体制だと三百ほどの殿様がいて、それぞれに生殺の権があったわけだから当然、政府の力もその割合で弱かったはずである。

第七段落

 私裁の最も甚だしいもので政治を害することも最も大きかったのは暗殺である。古来からの暗殺の事跡を見てみると、私怨のためにする者もあれば、銭のためにする者もある。こういった類の暗殺を企てるものはもとより罪を犯す覚悟で、自分でも罪人のつもりであるのだけど、これとは別の暗殺もある。

 この暗殺は個人的なことではなく、いわゆる「ポリチカルエネミ(political enemy)」(政敵)を邪魔だとして嫌いこれを殺すものである。天下のことについて各々の見込みを異にして、自分の見込みでもって他人の罪を裁決し、政府の権を犯してほしいままに人を殺し、それを恥じないばかりかかえって得意げな顔をして、自ら天誅を行うと言えば、これを報国の士だ言う者もいる。

 そもそも天誅とは何なのか。天に代わって誅罰を行うつもりなのか。もしそのつもりなら、まず自分の有様について考えなければならない。そもそもこの国に居て政府に対してどんな約束を結んでいたのだ。必ず国法を守って身の保護を被るべしと約束したのではないか。

 もし国の政事について不平の箇条を見出し、国を害する人物があると思うのならば、静かにこれを国に訴えるべきはずであるのに、その政府を差し置いて自ら天に代わって事を行うとはお門違いも甚だしいものと言うべきである。つまるところ、こういった類の人々は、性質は律儀であるのに物事の道理に暗くて、国を憂うることを知って国をどうやって憂うると良いのかということを知らない人である。試みにいろいろな歴史を調べてみれば、暗殺で事がうまく運んで世間の幸福が増したという事例はないのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536



感想及び考察

■冒頭のことは、韓非子に詳しい。内儲税七術のうちの「必罰名威」がこれであると言えよう。これに付随して韓非子の面白い話をひとつ付け加えておく。
▼昔、ある国に、王さまと宰相とがいた。
王  「わしは仁者(寛大な人)になりたいのじゃ。」
宰相 「王さま、あなたの言うことはごもっともです。もとより、罰を加える命令は誰でも嫌うもの、この嫌な役目は全て一手に私が引き受けましょう。こうすれば、優しい王様のイメージが皆に定着することでしょう。」
王  「おう、流石、わしが選んだ宰相じゃ、これでわしの地位も安泰だな。」
宰相 「ご決断、ご明察としか言いようがありません。これで、民も王さまになつくことでしょう。」

ーーーしばらくしてーーー

王  「最近皆が私の言うことを聞かなくなってきた気がするのじゃが、どうしてだろうか。」
宰相 「それは王さまの勘違いと言うものです。王さまが罰を加えないから、皆が王さまを慕い、自分に任せてもらっていると自信を持って、いきいきと働いているのです。嫌な役目は私が引き受けていますので、王さまはご安心ください。」
王  「そうじゃの。お前の言う通りじゃ。事実、全てうまくいっているのじゃろ。」
宰相 「もちろんですとも、全て私の考え通りにうまくいっています。昨日も、王さまを侮辱した役人に刑罰を加えておきました。」

ーーーしばらくしてーーー

王  「本当に皆は私のことを慕っているのか。ただ、お前の言うことを聞いているように思えるのだが。」
宰相 「まだ、気が付いていないのか。もう、お前の言うことを聞く者などいないのだ。お前は俺に騙されていたのだ。罰は嫌なものであるけれど、これが無ければ人は動かないこともある。逆に、俺に罰せられると思えば、皆俺の言うことを聞くと言うわけだ。」
王  「なんと無礼なことを言うか、皆の者、これを捕えろ」
皆の者「宰相の言うことを聞かないと殺されるんです。王さまは私に何かをくださるかもしれませんが、それ以上に宰相に殺されることの方が嫌なのです。それに刑罰の権利は宰相様が持っているので、いずれにせよ、王さまの言うことは聞けません。」
宰相 「まだ分からんのか、お前はもう用なしなのだ。皆の者これを捕えて牢獄にぶち込んでおけ。」
皆の者「はい、わかりました。」
王  「なぜじゃぁっぁぁ〜、わしは王ぞ、王ぞ〜、この国の王ぞ〜…」