59.学問のすすめ 現代語訳 十四編 第七・八段落

第七段落

 他の人事も同じようなものである。人間が生まれてからの商売は、十歳前後に人心のできた時から始まっているものであるから、平生から智徳事業の帳合を精密にして、勉めて存亡を引き受けないように心がけなければならない。

 この十年のうちに何を損して何を益したのか、現在は何の商売をしていてその繁盛の有様はどのようなものであるか、今はどんな品を仕入れていつどこでそれを売りさばくつもりであるのか、年中心の店の取締は行き届いて遊びたい心や怠けたい心といった召使のために穴を明けられていることはないか、来年も同じ商売をして確かな見込みはあるのかどうか、もはや別に智徳を益すべき工夫はないのかどうかと、もろもろの帳面を点検して棚卸の総勘定をすることがあれば、過去現在の身の行いには必ず不都合なことも多くあるであろう。その一、二を挙げてみると、

第八段落

 貧しいことは士の常、尽忠報国などと言って、みだりに百姓の米を食いつぶして得意の顔色をし、今日になって事実困っている者は、舶来の小銃があることを知らないで刀剣を仕入れ、一時だけは利益を得てあとで残品に後悔するようなものである。和漢の古書ばかりを研究して西洋日新の学を顧みないで古いことばかりを信じて疑わない者は、過ぎた夏の景気を忘れることができないで冬なのに蚊帳を買いこむようなものである。

 青年の学生がまだ学問も熟していないのに、思いつきで役人になろうとして結局一生を不意にしてしまうようなことは、仕立てがまだ途中の衣服を質に流すようなことである。地理歴史の初歩も知らないで普段の手紙を書くこともできないでやたらと難しい本ばかり読もうとして、最初の数ページだけ見てまた他の本を求めるようなことは、手元がないのに商売を始めて日ごとに違う商売に手をつけるようなことである。

 和漢洋の本を読んではいるのだけど、天下国家の形成を知らずに一身一家の生計にも苦しむ人は、そろばんも持たずに万屋の商売をするようなものである。天下を治めることを知って、身を修めることを知らない者は、隣家の帳合に助言をして自分の家に盗賊が入ることを知らないようなことである。

 口では流行りの日新と言っているのだけど心にはその日新の精神が見られず、自分自身が何者であるかも考えないような者は、商売という名前だけは知っているけどれどものの値段さえ知らない者と同じである。

 こういった不都合は、現に今の世の中で珍しいことではない。その原因は、ただ流れ渡りにこの世を渡って、かつてその身の有様に注意することもなく、生まれて今日にいたるまでの間に、自分は何をしたのか、今は何をしているのか、これから何を為すべきなのかと、自らその身のことを点検していないという罪によるものなのである。

 だから言うのだ。商売の有様を明らかにして後日の見込みを定めることは、帳面の総勘定であり、一身の有様を明らかにして後日の方向を立てるのは、智徳事業の棚卸であると。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■第八段落の構造を表してみると、1.現在の世間の状況と自分との間にある帳面の棚卸 2.手がけようとする事業の大きさと自分の実力との間にある帳面の棚卸 3.理想と現実との間にある帳面の棚卸 4.自分の口と行いとの間にある帳面の棚卸 ということになると思う。