8.福沢諭吉 学問のすすめ 現代語訳 二編 第一段落
二編 第一段落
人は同等なる事
初編のはじめに、人は万人が同じ身分で生まれたからには上下の差別といったものはなく自由自在云々とある。今、この意味を押し広めて述べようと思う。
人が生まれることは天によってだけ決まることで、人の力ではどうすることもできない。そして、この人々が互いに相敬愛しておのおのその職分(つとめ)を尽くして、お互いに妨げることがないようにしなければならない理由というのは、みな同類の人間であってともにただ一つの天を共有し、また天地の間の同じ造物であるからである。例えば、家族で兄弟が仲良くすることは、もともと同じ一家の兄弟であり、同じ一父母を共有しているという人間として無視し得ない事実があるからである。
まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536
感想及び考察
■今回は一段落が少なかったので、前から温めていた自由についての考察を書いてみようと思う。自由は大きく分けると三種類の意味があると思う。
1.私は自由に食べ物や飲み物を口にすることができる。
2.私はこの日本という国で自由に生きることができている。
3.私は全ての拘束から解かれて、自分の理性の自由を確保している。
1.は一番簡単な自由、「不自由の自由」である。やりたいときにやりたいことが、したいときにしたいことができる自由である。恐らく、世間の九割近い人がこの自由しか知らないと思う。また、この自由を勝ち取るために、逆に自らをさらに拘束しているのだけど、そのことに気が付くことはとても難しいことである。
2.が、この学問のすすめで福沢が勧めている「独立の自由」である。独立の自由とは、初編で福沢が示し、これからも詳しく示していくように、やるべきことをやるだけの才徳:能力を備えて、他人に迷惑をかけないように、感謝すべきことには感謝し、その上で自分の意志を実行に移す自由である。この自由は、これからどんどんと詳しく明らかになっていくし、この自由と独立への理解が私にとって少ないと思ったから、この現代語訳を続けている。
3.は、「真の自由」である。私は、この自由を勝ち得ている人、または勝ち得た人を、釈尊、ゴーダマシッダールタ、仏、しか知らない。この自由に至る道は恐ろしく長い。これがどういった自由であるかを説明するのに、ソクラテスの言葉を借りようと思う。
さあ、ソクラテスいでたまえ。
ソクラテス「やあ、ケイゴーサ、今日は何の用だい?」
ケイゴーサ「ソクラテス、今回お呼びしたのは他でもありません。私は自由になりたいのですが、どうすればよいでしょうか?」
「では、自由とは何であるかを考えないとならない。君は食べたい時に好きなものを食べられることを自由だと思うか」
「もちろんです、それを自由と言わなかったら何を自由と言うのでしょう」
「確かに、それは自由だと言える。でも、こういった場合ではどうだろう。つまり、君が兵役につくことになって、さらに敵に囲まれてしまい、食糧が残りわずかとなったとき、これを食べたいと思ったときに食べることができることは自由なのだろうか」
「もちろん、そういったときも食べられることの方が自由と言えるでしょう」
「しかし、君がそれを食べたことによって、他の兵士たちが弱ってしまい、君もろとも敵の捕虜となり、逆にその自由があったことによってさらなる不自由を生む可能性があるのではないか」
「そういった可能性ももちろんあります」
「ということはだ。君はそれを食べる自由があったことによって、逆に自分の不自由を招いてしまうわけだ。」
「そのようですね」
「自分の不自由を招いてしまう自由を、自由と言うことはできるのだろうか」
「それは自由とは言われません」
「ならば、そもそも、君が食べることが許されていながら、その残りわずかの食糧を食べなかったとき、本当の自由がもたらされる可能性が高まるのではないか」
「そうですね。私に我慢できるだけの忍耐力があれば、そうするかもしれません」
「君の言う通りだ。ところで、我慢することは自由だろうか、それとも自由ではないのだろうか」
「我慢することは自由ではありません。それらはちょうど対義語で、反対のことを言っているとさえ思います」
「では、君が我慢することなく、残りわずかな食糧を食べないでいることが一番自由であるということではないか」
「どうもそのようです」
「ここまで話を進めれば、もう結論は出ているじゃないか。君に、そもそも食べたいという欲求がなければ、それが一番自由であるのではないか」
「わかりました。私たちは、普段、できることの方を自由だと思っていたわけですが、そもそも、そうしたいとも思わないことのほうが本当の自由なのですね」
「そうだ、そして、そうなるためには訓練をしないとならない。ぼくたちが人間である以上は、食べ物と飲み物は絶対に必要であるのだけど、普段から、これを少しでも少なくするように努め、また、食べたいと思った時も食べないように心がけるならば、ぼくたちは本当の自由に近付くことができる」
「ありがとうございます。ソクラテス。私は、あなたのおかげで少しは本当の自由に近付くことができそうです」
「ケイゴーサ、礼には及ばんよ、またいつでもぼくと議論をしてくれたまえ」
「真の自由」を分かろうとする人には分かってもらえる内容になったと思う。
要約
例えば同じ家に生まれた者同士は家族として仲良く暮らす。そのように、人類は、天のはたらきによってこの同じ天の下に生まれた者同士で、お互いに敬愛しお互いの職分(つとめ)の邪魔をしないようにしなければならない。