14.学問のすすめ 現代語訳 三篇 第三・四段落

第三段落

 このような次第であるから、外国から我が国を守ろうとするならば、自由独立の気風を全国に充満させて、国中の人々に貴賤上下の区別もなくし、その国は自分の国であると各自が自分の身に引き受けて、智者も愚者も目が見開いている人もそうでない人も、おのおのその国人であるという分を尽くさなければならない。

 イギリス人はイギリスをもって我が本国と思い、日本人は日本国をもって我が本国と思い、その本国の土地は他人の土地でなくて我が国人の土地であるからには、本国のことを思うことは我が家を思うかのようにし、国のために財を失うのみならず、命さえ投げ出しても惜しむことはない。これがすなわち報国の大義である。

 もとより、国の政治を取り行うのは政府であって、その支配を受ける者は人民であるけれども、これはただ便利のために双方の持ち場を分けているだけである。一国全体の面目に関わることになったら、人民の職分(やるべきこと)ではないとしての政府にのみ国を預けて、かたわらでこれを見物するだけということがあってよいだろうか。それでいいはずがない。

 既に日本国の誰、イギリスの誰と、その姓名の肩書に国の名があるのであるから、その国に住んで起居眠食自由自在である権義がある。既にその権義がある以上は、必然的にそこで果たすべき職分というものがあるのである。

第四段落

 昔、日本の戦国時代、駿河今川義元が数万の兵を率いて織田信長を攻めようとしたとき、信長の策略で桶狭間に伏兵をしかけ、今川の本陣に迫って義元の首が挙げられた時、駿河の軍勢は、くもの子を散らしたように戦いもせずに逃げてしまった。こうして、当時名が高かった駿河の今川政府も一瞬にして滅びて跡形も無くなってしまった。

 最近、二三年前に行われたフランスとプロイセンの戦争(普仏戦争)では、戦いが始まってすぐにフランス帝ナポレオン三世が生け捕りにされた。しかし、フランス人はこれで望みを失うばかりか、ますます奮発して防戦を行い、骨をさらし血を流して、数か月籠城して後、和睦することとなった。しかし、フランスは以前のフランスと何の変わりもなかった。先の今川氏の始末と比べて同じように語ることなどできない。

 それはどうしてなのか。駿河の人民はただ義元一人に頼るばかりで、その身はお客様のつもりという有様で、駿河の国を我が本国と思う者もなく、フランスには報国の士民が多くて国の難を各自自分の身に引き受け、人から勧められるまでもなく自ら本国のために戦う者があった。だからこそ、このような違いが生まれたのである。

 このように考えてみれば、外国に対して自国を守るに当たって、その国人に独立の気力がある者は国を思うことが深切なのでり、独立の気力がない者は不深切であるのである。このことは、この話から推測して考えてみれば分かることである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■この辺りからは、「ナショナリズム(nationalism)」が際立って感じられるように思う。私が思うに、国を思う気持ちは、家を思う気持ちを拡大できたのかどうかなのであると思う。別の言い方をすると、家を思う気持ちと国を思う気持ちは同じでもあると思う。これを愛と私は呼んでいる。つまり、愛すべきものを愛し、それ以外のものを差別することである。この垣根がない愛を、私は慈愛と呼んでる。▼近代ヨーロッパ史(ちくま書店)に書かれていたことだけど、「nation」の語源は、ラテン語の「ナチオン」で生まれるとかそこで生まれたとかいう意味とのこと、そして、nationは、国家、国民、民族という三重の意味を持つ、日本には適当な単語がない表現とのこと。▼幸徳秋水帝国主義」に「愛国心はまた故郷を愛するの心に似たり。故郷を愛するの心は尊ぶべし。しかれどもまた甚だ卑しむべき者あり。」とある。つまり、例えばプロ野球で自分の地元のチームを応援するけれども、それが過ぎると相手チームを罵倒したりする。これは卑しむべきことである。

■フランスのことが出ていたので、フランス史を勉強した時のことを思い出した。http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121020/1350702281


要約

第三段落
 だから、諸外国から日本を守るためには、国民一人一人が、ここは自分の国であり、ここは自分の家にも等しいものであると思って、そう思うことによって自分の国を守るという、その職分を果たさなければならない。そのためには、為政者はあくまで便利の上で役割分担をしているだけだと思うことと、自分がこの国に住んで自由自在の権利があるのだと自覚しなければならない。

第四段落
 この違いの良い例えとして、戦国時代の駿河の今川家と二三年前のフランスの違いにあるだろう。今川義元織田信長によって桶狭間で殺された時、今川家は一瞬にして崩壊してしまった。これに対してフランスは、普仏戦争のとき、時の皇帝ナポレオン三世が捕えられたにも関わらず、さらに奮戦して国を守ったのである。そして、ここにあった違いが、人民に独立の気力があったかどうかなのである。義元に頼っていただけの駿河武士と、自分の国は自分で守るという独立の気力があったフランス戦士との違いである。だから、独立の気力がある人こそ、国を思うこと親切であるのだ。