フランス史を勉強して

 フランス史についても勉強した。 (2012.1ごろ)

 フランスの特色は、やっぱり「アンシャンレジーム」ではないか。このアンシャンレジームは、想像することが非常に難しい。何故かと言うに、複雑であるからだ。でも、敢えて一言で表現すると、「国家と民の間に、国家以外の団体が多く、そして複雑に存在する社会体制」と言えるかもしれない。

 少し前、フランスで、イスラム教徒女性のスカーフ着用禁止のことが話題になった。アフリカの春や、テロ組織の運動と関連付けられて、これが批評されていた。しかし、実は、この問題、フランス革命の起こったころからの問題だったようだ。というのも、ある見方によると、フランス革命は、「アンシャンレジーム」への反動であった。つまり、国家と民の間に何も置かない「単一で不可分なフランス」がフランス革命で目指されたわけである。「単一で不可分なフランス」においては、公的な場では皆が公的なフランス人なのである。だから、フランス人は、公的な場所で、自分の宗教を誇示してはならない。あくまで、私的空間でのみそういった行為は行われるべきなのである。この事例からわかるように、アンシャンレジームへの反動は、フランス革命後、200年も人々の心を拘束しているとも言える。こうして考えてみるに、アンシャンレジームの理不尽さのようなものが伺えるような気がする。

 フランスの特色と言えるものに、法律が昔からあった。ということが言えると思う。法の精神を書いたモンテスキューがフランス人であることは、必然と言えば必然かもしれない。都市部や、農村部でも、不文律や慣習法であったとはいえ、紀元1300年ころから(だったと思う)、そういった法律の概念が民衆の間に根付いていたことは特筆すべき価値があると思う。

 そして、フランスは、イギリスのライバルとして、また、ナポレオンを輩出した国として、強国のイメージがるけど、そんな大して強かったというわけでもないみたいだ。というのも、スペインとの境にはピレネー山脈、イタリアとの間にはアルプス山脈、と天然の要塞に守られた中に、肥沃な平野を抱えたのがフランスであったからだ。現在のドイツとの国境には天然の要塞はライン川くらいしかないけれど、そちらから攻められたという記述はない。これが何故なのかは、ドイツ史で確かめようと思う。ただひとつ、面白い記述があって、1400年ころ(だったと思う)に、ヨーロッパが温暖化したらしく、このころに、定期的に訪れていた寒波による飢饉が無くなったらしい。あと、前ドイツ史を勉強した時、ドイツは土地がやせていて、ジャガイモが栽培されるようになって発展し出した。ということも併せて考えるとなかなか面白い。いずれにせよ、肥沃な大地がフランスを相対的に強国にしていたことは間違いないみたいだ。

 政治としては、三部会が古くから行われていたこと、また、アンシャンレジーム下での利害団体の発言力や実行力があったことが特色と言えるかもしれない。これに伴って、イギリスよりもクーデターの発生率が高いような印象を受けた。なんとも不思議だけど、東のイギリスと、西のロシアを足して二で割ったような社会や政治体制だという印象を受けた。

 ヨーロッパの各国史を勉強していると、ヨーロッパが列強になり得た理由のひとつに、1500年ころの農業革命があったことは間違いないように思う。