44.学問のすすめ 現代語訳 十編 第二段落

第二段落

 今の学者は何のために学問に従事しているのだろうか。不羈独立の大義を求めていると言い、自主自由の権利を回復すると言っているのではないか。既に自由独立と言うときには、その字の意味に、自ずから義務の考えが含まれていなければならない。

 つまり、独立とは、一軒の家に住んで他人から衣食の世話を受けないという意味だけではない。これはただ内の義務というべきものである。

 なお一歩進めて外の義務を論ずると、日本に居ては日本人たる名を辱めることがなく、国中の人と共に力を尽くして、この日本に自由独立の地位を得させ、そうして始めて内外の義務が果たせたと言うべきである。

 だから、一軒の家でわずかに衣食を満たしているに過ぎない者は、これを一家独立の主人だと言うべきであり、いまだ独立の日本人と言うべきでなない。

 試みに見てみよ。最近、天下の形勢は、文明の名はあるもののまだその実は至っていない、外の形は備わったとはいえ、内の精神はまだまだ虚しい。今の我が陸海軍で西洋諸国の兵と戦うことができるだろうか、決して戦ってはならない。今の我が国の学術で西洋人に教えることができるだろうか、決して教えれるようなことはない。むしろ、彼らに学んで、なお追いつくこともできないことを恐れるべきである。

 外国に留学生がいて、国内には雇われた教師がいて、政府の各省、寮、学校から、諸府諸港に至るまで、大概全部外国人を雇っている。または、私立の会社や学校の類であっても、新たに企てられたものはまず外国人を雇い、過分な給料を与えて依頼することが多い。彼の長を取って自分の短を補うとは人の口癖であるけれども、今の有様を見ると我らはことごとく全てが短であって、彼はことごく全て長であるかのようである。

 そもそも、数百年続いた鎖国を開いて、急に文明の人に交わることになったのだから、その状況はあたかも火で水に接するようなもので、この交際を平均するためには、あるいは彼の人物を雇い、あるいは彼の品物を買って、そうしてやかんに空いている穴を塞いで、火が水で消されてしまうような動乱を鎮静することは、やむを得ない情勢である。だから、一時の供給を彼から得ることも決して国の失策と言うことはできない。

 そうではあるけれども、他国の物を頼りにして、自国の用を補うようなことは、もとより永久の計ではない、ただこれを一時の供給だと見なして、なんとか自分を慰める他はないのだけど、その一時はいつ終わる一時なのだろう。その供給を他から得ないで、自ら何とかするための方法は、どうやって得るべきなのか。これを予測することは甚だ難しい。

 ただ、今の学者が一人前となるのを待って、この学者たちによって自国の用を達する以外には、これに対する手段がないのである。すなわちこれが、学者の身に引き受けている職分であるからには、その責任は急を要する事と言うべきである。今、我が国が受け入れている外国人は、我らの学者が未熟であるために、しばらくの間だけその代理を務めているだけである。今、我が国で外国の品物を買っているのは、我が国の工業が稚拙であるために、しばらくの間だけ銭で交易を行って用を達しているに過ぎないのだ。

 このように、外国人を雇って外国の品物を買うことは、我らの学術がまだ彼らに及んでいないがために日本の財貨を外国に棄てることである。国のためには惜しむべきことである。学者ならば恥じるべきことである。

 さらに、人としても前途の望みというものがなく、望みが無ければ世の事に勉める者もない。明日の幸福を望んで今日の不幸も慰めることができるし、来年の楽を望んで今年の苦を忍ぶことができる。

 昔日は、世の事物が、全部古い体制に制せられていて、有志の士であっても望みを養うべき望みが無かったのであるが、今はそうではない、この制限を一掃してから後は、あたかも学者のために新世界が切り開かれたかのようで、天下、事をなすための所とその地位がないということはなくなった。農業を営んだり、商売をしたり、学者となったり、役人となったり、本を書き、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべきだし、議院も開くべきだし、百般の事業で行うことができないという事はない。

 しかも、この事業を成し得ても国中の兄弟がせめぎ合うということではなく、その智恵の矛先を争うべき相手は外国人なのである。この智の戦に有利となれるならば我が国の地位を高くすることができ、これに敗北すれば自分の地位を落とすことになり、その望み、大きくて明らかに予測できることであると言うべきである。

 そもそも天下の事を実際に行っていくためには、前後や緩急があるべきであるけれども、到底この国に欠くことのできない事業については、各人が自分の長所を生かして、今よりさらに研究しなくてはならない。処世の義務を知っている者ならば、この時に当たってこの事情を傍観していていいはずがない。学者は勉めなければならない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■ここで福沢は、外国人と競え、と言っているが、この精神が、戦前は日本を列強に、戦後は経済大国に押し上げていたように思う。これはこれで良いことであったろう。だがしかし、時代は変わりつつある。この考え方は時代遅れと言うべきものとなったのではないか。特に現在、われわれは、競うことで無く、助けあうことを旨とすべきではないのか。グローバル化は、世界を小さくして、あちらの損害をこちらの悪影響として反映するようになった。鳩山首相の友愛思想などは、ちょっと行き過ぎだと思うが、もはやわれわれはそうした視点で全てを捉えなくてはならないのではないか。