20.学問のすすめ 現代語訳 四編 第七段落

第七段落

 今まで述べたようなことが本当の事ならば、我が国の文明を進めてその独立を維持するためには、政府のみによってそれができるというわけでもなく、また今の洋学者流だけに頼っているだけでは足らず、必ず私自身に任ぜられるものであって、まず私が事を始めてみて先駆者となり、愚民の手本となるだけではなく、かの洋学者流の手本ともならなければならない。

 現在自分の身分について考えてみると、その学識は浅薄と言えるものではあるのだけど、洋学に志すことについては既に日は長く、この国では中人以上の地位に在る者である。最近の世の中の改革も、もし、自分が主だったものとしてこれを始めたのでないならば、陰から支えてきた者である。あるいは、私の助力は関係なかったとしても、その改革は私の喜ぶところであるからには、世の中の人も、必ず私のことを改革家流の人と見なしてくれるだろう。

 既に改革家の名があって、またその身分は中人以上であるからには、世の中には私のことを手本としてくれる者もあるだろう。そうであるならば、すなわち今、人に先だって事をなすことこそ、まさに私の任と言うべきものである。

 そもそも何かをするのに、命令することよりは説得することの方が良いし、説得することよりは実例を示すことに越したことはない。だが、政府には命ずる権利しかなく、これを説得したり実例を示したりするのは私事であるからには、私はまず私立の地位を占めて、学術を講じたり、商売に従事したり、法律を議論したり、本を書いたり、新聞紙を出版したりするなどして、おおよそ国民の分限を越えないことならばなんでもかまうことなくこれを行い、固く法を守って正しく事に当たり、もしも、政治に不備があっておかしなことになってしまうようなら、私が地位を屈さないでこれを議論して、あたかも政府に一本の針を刺すようにし、そうして、古くからの弊害を除いて民権を本来の形に回復することこそ、現在至急の要務である。

 もとより、私立の事業は幅広く、かつこれを行う人もそれぞれ長所というものがあるであろうから、ほんの数人の学者でこれを全て行えるわけではないけれども、私が目的とするのは事を巧みに行うことを示すのではなくて、ただ天下の人に私立の方向を知らしめようとするだけのことである。

 これより私が私立の実例を示して、人間の事業は政府に任されているものばかりでなく、学者は学者で私に事を行うべきであるし、町人は町人で事を行うべきであり、政府も日本の政府で、人民も日本の人民であり、政府は恐れるほどのものでなくて近付くべきものであり、疑うべきものでなくて親しむべきものであるという趣を知らしめることができるならば、人民もようやく向かうところが明らかとなって、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具でなくして政府にとっての刺激となり、学術以下三者(学術・商売・法律)も自ずから、これを本来所有すべき国民に帰って、この国民の力と政府の力とが互いに相い平均して、そうして全国の独立を維持することができる。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

マルクス共産主義は、ある意味で、儒家の理想政治に近いかもしれない、というのも、その中心が共産党であるのか、専制君主であるのかという違いはあるのだけれども、基本的に「中央が人民の世話をする」というこの一点に全てがかかっているからである。こうして考えてみると、共産主義国家や社会主義国家というのは、君主が選出された労働者に変わっただけの、極言すれば、封建主義から民主主義への移行段階の途中にあった政治形態というものだったのかもしれない。

■上の観点に気がつくと、最近の急激な社会の変化(これを私は人類工業化革命と呼んでいるのだけど)についても、簡単に説明ができる。以前は結局「少ない人が多くの人を玩具にしていた社会」であったわけである。どういうことかと言うと、人民が幸福であるかどうかは別として、人民は常に政府の言うことを聞いていればよかっただけであるからである。だから、儒家の理想政治もこれに近い。なぜなら、その理想政治がいかに民を幸福と安心に導こうが、結局のところ、民に「自主性」はないからである。民主主義の真骨頂は「自主性」にあったのだ。それで、最近の異様な発展がなぜ起こったかというと、この自主性の力が、1から100か万かに倍増したからである。以前の社会では、結局、人間の社会での自主性はほとんど無かった。それは政府が支配し、方向付けるものでしかなかったからである。しかし、今は、それが千倍か万倍かあるわけである。そうすれば、社会がこのように急激に発展することは至極当然のことであり、この「自主性」の観点から社会の一面が分かったことになる。これは例えば、昨今のノーベル賞を受賞した山中教授のことを考えると分かる。この人は、自分でその研究をしようとして、自分で頑張って国から金を引き出したのである。だから、これは政府の命令でなくて、あくまで山中教授の自主性がそうさせたのであって、こういった事例が、日本の明治維新、世界の近代革命以降、千倍か万倍したわけである。こう考えると、この急激な発展はほんとに当たり前のことと思う。

■この前、荀子を読んでみて、荀子だけは、儒学の中でもなんか民主主義に近い雰囲気がすると思っていたけど、まさにこの「自主性」という部分にそれがあったのだと思われる。あと、これは、個人的な見解だけど、福沢と荀子は似ている。荀子の自主性≒独立の気概は、学者の間でも儒学の異端とされてきた「天論」に代表されているとは思う。あと、荀子は「治める」のでなくて、あくまで「導く」というやり方にこだわっている。この考え方は随所にある。岩波文庫の解説によると、「孟子の時代はまだ中華全域が不安定だった、だから孟子には治めるための著述があり、荀子の時代には、もうすでに中華は秦一極にほぼなりかけていた、このためどう統治していくかという術のことについて書かれている」といったようなことがあった。なるほど、とは思った。それにしても、その時代にその人がちょうど都合よく育つところは歴史の面白いところだなと思う。

■今回、独立の意味が少しわかった気がする。あと、この自分のこと云々を語っている福沢は、かなり筆が滑っていて、訳すのにも、その気持ちについていくのが難しいと思った。かなり心を弾ませて書いていたのではないかと思う。私も、いつかは、自分自身のことを滑るように弾ませて描きたいものだ。


要約

 こういったわけであるから、私立の道の実例を示す者が必要なのである。そして、私自身が、この先駆けとなろうと思う。つまり、私自身が私立の地位を占めて、国民の分限を越えないことならばなんでもかまうことなくこれを行い、固く法を守って正しく事に当たり、もしも、政治に不備があっておかしなことになってしまうようなら、私が地位を屈さないでこれを議論して、皆の手本となるのである。

 こうして、社会の事業は、全て政府の手によるものではないということが示せるのならば、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、人民は政府の玩具でなくして政府にとっての刺激となり、学術以下三者(学術・商売・法律)も、自ずからこれを本来所有すべき国民に帰って、国民の力と政府の力とが互いに相い平均して、そうして全国の独立を維持することもできよう。