42.学問のすすめ 現代語訳 九編 第五〜七段落

第五段落

 人類が生まれたばかりの時には人智はまだ開けていなかった。その有様を見てみると、あたかも生まれたばかりの子供に知識がないようなものだ。

 たとえば麦を作ってこれを粉とするためには、天然の石と石とでこれを付き砕いていたのだろう。その後工夫した人がいて、二つの石を丸く平たい形にして、その中心に小さな穴を開けて、片方の石の穴に木か金の芯棒をさし、この石を下に据えてその上にもう一つのほうの石を重ね、下の石の心棒を上の石の穴にはめ、この石と石との間に麦を入れて上の石をまわし、その石の重さで麦を粉にする機能を設けたのだろう。すなわちこれが「ひきうす」である。そして、昔はこのひきうすを人の手の力でまわしていたのだけど、後世になってから石の麦をひく部分の形も次第に改められ、あるいはこれを水車や風車の仕掛けでまわし、あるいは蒸気の力を使うこととなって、次第に便利なものになっていった。

 何事もこの通りに、世の中の有様は次第に進んで、昨日まで便利であったものも今日では不便で遠回りなものとなり、去年の新しい工夫も今年になると陳腐なものとなる。西洋諸国の日新の勢いを見ていると、電信、蒸気、百般の機械、これらは何かが出ればまた面目を改めて、日に月に新奇でないものはない。このことは、ただ有形の器械だけの話ではなく、人智が広がっていけば交際もいよいよ広くなり、交際がいよいよ広くなっていけば人情もいよいよ和らいでいき、万国公法の説に従わざるを得なくなって、戦争を起こすことも軽率にできなくなり、経済の議論も盛んとなって政治や商売のやり方も一辺に変わって、学校の制度、著書の体裁、政府の会議、議院の議論、これらのものがいよいよ改められれば、いよいよ高くなり、その行きつく所の際限が見えないかのようである。

 試みに西洋文明の歴史を読んでみて、人類の歴史が始まって西暦1600年ごろで一度巻を閉じて、二百年の間を見ないでこの部分の歴史を飛ばし、1800年代の巻から開いてこれを見てみれば、皆が皆、その人類の一足とびの進歩に驚きを隠せないであろう。ほとんど同じ国の歴史と信じることができない。そうして、その進歩ができた理由の根本を探してみると、これらは皆、古人の遺物であり、先人の賜物なのである。

第六段落

 我らが日本の文明も、その最初は朝鮮やシナから来て、その後我らが国民の力で切磋琢磨され、そうして近世の有様となり、洋学のようなものはその源が遠く宝暦年間(1751〜63)に在る。これは「蘭学事始」という本にある。

 最近外国との交際が始まってから、西洋の説がようやく世の中で行われるようになり、洋学を教える者もあり、洋書を訳する者もあり、天下の人心はさらに方向を変えて、このために政府も方向を改めて、諸藩も廃止にして、今日の勢いとなり、重ねて文明の発端を開いたのも、これまた古人の遺物、先人の賜物と言うべきものである。

第七段落

 今まで述べたように、昔の時代から力の有る人には、身心を労して世のために事をなす者は少なくなかった。今この人物の心を考えてみるに、どうして自分の衣食住が豊かであると言ってそこで自分だけで満足してしまうようなものであったろうか。人間交際の義務を重んじて、その志すところは実に高遠に至っているのである。

 今の学者は、これらの人物から文明の遺物を受けて、まさしく進歩の先方に立っている者であるからには、その進むところに限界があってはならない。今から数十年後に、後の文明の世になったのならば、またその後人たちが自分の徳沢を仰ぐことは、今、私が古人を崇めるかのようにしなければならない。

 概してこれを言うならば、私の職務は、今日この世に居て私の生きた痕跡を残して、遠くこれを後世子孫に伝えることの一事にあるわけである。その責任はまた重いものと言うべきである。ただ数冊の学校本を読み、商人や職人、小役人となって、年に数百の金をもらってわずかに妻子一家を養って満足するようなことが、どうしてできようか。これは他人に害を為さないだけであり、他人を益することではない。

 また、事を為すためには、時の便不便と言うものがある、もしも仮にその時が違っていたら、力の有る人物でもその力を発揮できないということもある。古今でその例は少なくない。近いところで言うと、私の故郷にも俊英と言うべき士君子がいたことは明らかに私が知っていることである。そもそも今の文明の眼からこの士君子を評価してみると、その言行は方向を誤っている者が多いとはいえ、これは時論によってそうなっていることに過ぎず、その人の罪ではなく、実際のところは事をなすだけの気力がないというわけではない。ただ不幸にも時に適合せずに、虚しく宝を懐にしまったまま生涯を送り、あるいは死にあるいは老人となって、遂に世の中の人がその徳を大いに蒙ることができなかったことは遺憾としか言うことができない。

 しかし今はそうではない。前にも述べたように、西洋の説がようやく行われることとなって遂に旧幕府が倒され、諸藩が廃止されたことは、ただこれを戦争の変動だと見てはならないことである。文明の効能というものは、ただのひと時の戦争での変動で終わってしまうようなことではなく、文明に促された人心の変動であって、かの戦争の変動は既に七年前に終わわりその跡はなくなったといっても、人心の変動は今なお依然として続いているのである。

 おおよそ、ものは動かないと導くことができない。学問の道を首唱して天下の人心を導き、押し伸べてこれを高尚の域まで進ませるためには、特に今の時をもって好機会として、そうして、この機会に遭遇している者がすなわち今の学者であるからには、学者は世のために勉強しないというわけにはいかない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

学問のすすめは全部で十七編まであるから、ここでやっと折り返し地点を過ぎたことになる。自分で言うのもなんだが、この活動が、ここまで一介のアラサー独身一般会社員の手によって為されたことは、ほとんど希有なこととしか言いようがないように思う。読んでくださっている方々がいると思って、ここまで続けてこれたことは間違いない。だが、まだ折り返したに過ぎないのであるからには、感謝の意だけ表して、まだお礼は述べないこととしたい。

■ここにある「時に適合しない。」という話は、いつも私はこの例えで表現している。たとえば、67回の戦で一度も傷を負わなかったと言われる、徳川家の強運にして剛力の猛将、本多忠勝などが、現代の世の中に生まれていたら、いかほど歴史に名を残せただろうか。はっきり言って、そもそも、今の世の中でほとんど役に立たない人物であると思う。

■福沢は、進むこと進歩することに際限を設定していない。だが、本当にそうなのだろうか、現代の世の中に欠けていることは「止まるところ」つまり「中庸」を逸していることのように思う。だが、私は技術や科学に止まるところを考えろというわけではない。そこでない、それは「何か」で分からないのだけど、人類がその「何かのどこか」に止まることが重要なのではないかと思う。このことについても熟考の余地がある。