推測・野田首相の気持ち

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36555

私の見解としても、このブログの意見とほぼ一致している。

ただひとつだけ、この言葉を付け加えたい。

「功言は徳を乱る、小を忍ばざればすなわち大謀を乱る」(論語 衛霊公第十五より)

もちろん日本のためとはいえ、小を忍んできた野田首相の気持ちを考えると切ない。野田首相の事跡からも、小を忍ぶことと、大謀を乱さないようにするためのこと(小を忍んで一時の策略や我慢をすること)は、ほとんど紙一重でとても選ぶのが難しいことだと分かる。最後は、野田首相にとって「小が小で無くなった」ということと思う。恐らく論語も読んだことはあると思うので、この言葉が野田首相の脳裏をよぎっていたのではないか。と思う。全くの推測ではあるし、こういった推測を発表すること自体厚かましいのではあるのだけど。

結局はその判断が、孫子の「正をもて合い奇をもて勝つ」ということに少なからずつながったと思う。選挙戦という意味においては少なからず意表を突く形となったからだ。

私は体験したことはないのだけど、理論上、最高の徳は最高の兵法となる。偶然と言うか、それは必然であるのだけど、最も強い兵法は、徳と一致するのだ。策というものは、正確に言うと、自分の徳を仕方なく補うための手段であり、基本、礼と義にもとることがなければ、これにもまして頑丈な鎧はなく、これにもまして鋭利な槍はない。だが、そこまで自分の徳を高めることはそれこそ本当に難しいことで、それを知るが故に、それを補うことに心はやるが故に、策と言うものが使われるのだ。