131.荀子 現代語訳 天論第十七 一〜三章

一章

 天行には常がある。聖王である堯が居るからそのために在るというわけではなく、暴君である紂王が桀が居るからそのために亡びるというわけではない。

 天行に応ずるのに治道によるのならば吉であり、天行に応ずるのに乱道によるのならば凶である。(吉凶とは得失の意味)

 根本を務めて費用を節約するようにすれば天もこれを貧しくすることはできず、滋養がなされていて時期をみて動いているのなら天もこれを病ますことはできず、道に従って違うことがないのならば天もこれに禍することはできない。だから、干ばつがあったからとて飢えさせることなどできず、寒暑が激しくても調子を悪くさせることなどできず、妖怪であっても凶事を起こすことはできない。

 根本が荒れていて費用を奢侈に使うのならば天もこれを富ますことなどできず、滋養もおおまかで滅多に動くこともないのならばこれを健全にしておくことなどできず、道に背いて軽挙妄動を繰り返せば天もこれに吉事を起こすことなどできない。だから、干ばつでないのに飢えて、寒暑が激しいというわけでないのに病となり、妖怪が生じたわけでもないのに凶事が起こる。

 季節や時期を受けることは治世のときと何の変わりもないのに、それにも関わらず殃と禍(どちらもわざわい)は治世と異なっている。(堯舜や文武周の時代は平和であったのに、今現在は、戦国乱世で殃と禍ばかりある)だが、これは天を怨むことではない、その道がそうさせているのだ。だから、天と人との分について明らかな人は至人というべき人である。

二章

 ことさらに何かしたわけでないのに成就して、求めたわけでないのに得ること、これを天職(天の職分・天の役目)という。

 このようなものについては、その人、思慮がいかに深くても思慮することをせず、大きな能力があったとしても手を加えることをせず、精査して細かいことまで目が届いても察することをしない、こういったことを天と職を争わずと言う。

 天にはその時というものがあって、地にはその財というものがあって、人にはその治というものがあり、こういったことをしっかり参じることができていると言う。(お互いの職分をよく知ってお互いにまじわること)もしも、参じている根本原因を捨てて、その上で参じていようとするならば、それは惑いというものである。

 星たちは時に従って廻り、日と月は互いに照らし合い、四季は代わる代わる治まり、陰陽は大いに感化し合って、風雨は広く施す。万物はおのおのその調和を得て生じて、おのおのその滋養を得て成長する。

 その事自体を現さずその功(はたらきの結果)だけを現す。こういったことを神と言う。みなその成就したことを知るけれど、その無形のはたらきについて知る者はない、こういったことを天功(天のはたらきの結果)と言う。ただ聖人だけが、天を知ることを求めないでいることができる。

三章

 天職が既に立っていて、天功が既に成就し、形が備わって神(こころのはたらき)が生じると、好悪喜怒哀楽がここに入ることになる。こういったことを天情と言う。

 耳目鼻口形能(形能:皮膚で感じる作用と筋骨で重さなどを知る作用)は、お互いに重複したものを感じるのだけど、感じること自体は別であり混ざることはない。こういったことを天官と言う。

 心が真ん中に虚しく居て、この五官を治めること、これを天君と言う。

 財物は、その類(人類)でないのに類を養う、こういったことを天養(天から与えられる財物)と言う。

 その類の善に同じて従うならばこれは福であり、その類に敢えて逆らうならばこれは禍となる。こういったことを天政と言う。

 天君を闇に容れて、その天官さえも乱して、その天養を棄てて、その天政に逆らい、その天情にも背いて、天功を失うこと、これを大凶と言う。

 聖人は、天君を清くして、その天官を正して、その天養を備えて、その天政に従って、その天情を養って、天功を全うする。このようであるならば、為すべきこととを知って、為さざるべきことをも知る。すなわち、天地も官となって万物も使役される。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■この天論については、以前にも和訳を試みたけど、いまいちうまくできなかった。しかし、ここまでの部分を和訳することを通して、わりとうまくできるようになったと思う。前の天論の翻訳を探してみたが、事実として、以前はこれだけの翻訳をするのに、三日以上かかっていた。それが、一日でできたのである。間違いなく成長している。

■内容については、天のはたらき、地のはたらき、人のはたらき、をしっかりと弁えることで、人はこの天地のはたらきに参じていくことができ、そうして参じることで、天地も使役することができる。としている。

■以前の天論の翻訳
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120520/1337461361
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120520/1337480674
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120608/1339153932