わかりやすい論語6 無病息災のもと

はじめに
誰にとっても、自分の体は大事なものです。けがをしたら動けなくなるし、病気になったら何もできなくなります。では、どうしたらけがや病気をしないで健康に生きていけるのでしょうか。今回は、健康に必要不可欠なものを紹介します。


曾子疾(やまい)あり。門弟子を召して曰く、「予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に曰く『戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し』と。今よりして後、吾(われ)免(まぬか)るることを知るかな。小子。」

(泰伯第八より)


現代語訳
曾先生が病気だったとき、自分の弟子達を呼んでこうおっしゃられた。「さあ、(ふとんと着物を)ひらけて、私の足を見てみよ、私の手を見てみよ。(大きな傷跡も無く、欠損も無いだろう)詩経には、『おそれおののいて、深い谷底の前にいるように、薄い氷を踏むように』とある。(もうすぐ私は死ぬから)これから後、この詩経の言葉を守らないで済む。弟子たちよ」


解説
 曾子は、孔子の弟子の中でも、親孝行で知られています。そしてその孝の気持ちから、親から頂いたその体を何よりも大事にしていたのです。だから、自分の体を傷つけないために、あたかも「深い谷ぞこの前にいるように、また、薄い氷を踏む時のように」慎重に行動をしていたのです。想像してみてください。今あなたの前に、深い谷がある時、あなたはきっと、その深い谷に落ちないように、上半身だけ少し曲げて、とても慎重にそちらを覗き込むでしょう。もしあなたが、薄い氷が張っているだけの池に、足を置こうとするとき、とても慎重に片方の足だけを氷の上に置くでしょう。曾子は、自分の親と、その親からもらった自らのその体を大事に思うが故に、いつもそのような気配りをしていたのです。だから、臨終の時まで、けがをすることが無く、手も足も無傷であったのです。

 私たちが、曾子から学ぶべきことは二つあります。一つ目は、「自分の体を大事にすること」です。深淵や薄氷の前で、自分の身を守ろうと思うことは当然です。身の危険が目に見えているからです。しかし、私たちの日常生活には、至る所に一見すると分からない深淵や薄氷もあります。自動車による交通事故などがまさにその良い例です。「あっ」と気付いた時、あなたは命を落としているかもしれません。病気もそうです。大したことはないと思っていた痛みが、病院に行ってみたら、実は命に関わるものと診断されるかもしれません。この、日常生活の至る所にある深淵に、万が一にも落ちないように、また、気付かず踏んでしまいそうな薄氷を、万が一にも踏まないように、注意を払わなければならないのです。そういった危険は、注意を払っていればわかるものです。自分の体を大事にして無理なことをしない、自分の体に関わるいろいろなことにしっかりと気付く、そういったことはとても大事なことでしょう。

 そして、この「大事なことを大事なこととしっかりと認識すること」が、曾子から学ぶべきことの二つ目です。もしも、「自分の体が大事だ」ということに気づいたなら、あなたは軽率なことはしなくなるでしょう。もしも、「その友人が自分にとって大事だ」と気付いたなら、あなたはその友人が気分を悪くするようなことは絶対しないでしょう。もしも、「神様をぞんざいに扱うと罰がある」ということを身をもって体験したなら、あなたは神様をぞんざいには扱わないでしょう。こういった、「大事なことを大事なこととしっかり認識すること」を、論語では「敬」という言葉を用いて表現しています。「敬」を持つことは、慎重になることの本です。また、この「敬」が「礼」となって表に出ることになります。いろいろなことを「大事なこと」と思う気持ち「敬」を忘れないように、そしてまた多くの「敬」を持つようにしたいですね。

わかりやすい論語まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563


おまけ 英訳

When Soushi had a heavy sick,he called his pupils and said.
Open my legs!Open my arms!(You can not find a scar at all.)
"Fearing and fearing,scaring and scaring.As standing in front of a deep valley.As stamping on thin ice."
After now,I know that I will be released (from this my own rule).
Pupils!