わかりやすい論語7 文というおくりな

はじめに
勉強をするということはどういうことなのでしょうか。「文」という言葉を通して、それにせまります。


子貢問うて曰く、「孔文子は何を以てこれを文と謂うや。」子曰く、「敏にして学を好み、下問を恥じず、是(ここ)を以て之を文と謂うなり。」

(公治長第五より)


現代語訳
子貢が尋ねて言うには、「孔文子はどうして、文というおくりな(死んだ後につけられる名前)がつけらたのでしょう。」孔子が言った。「物わかりが良く、また新たなことを学ぶことを好んで、目下の人に問うことを恥としなかった。こういったことから文というおくりながつけられたのだ。」

豆知識
孔文子は、孔子とは全く関係ない人です。衛という国の大夫(今で言うと大臣)の役職をしていたそうです。


解説
 「下問を恥じず」ということは、学問に必要不可欠なことです。例えば、もしも、あなたが、料理の作り方を知りたかったとします。そして、あなたに料理を教えてくれそうな人は、A.60歳の男性で尊敬されるような地位にある人だが、ほとんど料理をしたことが無い人。とB.20歳の女性で何の権威も無いけど、家庭の事情などから幼少より毎日料理をしていた人。であったとします。あなたは、どちらの人から料理を学びますか?言うまでも無くBの女性だと思います。

 この例えだと、「料理」が焦点になっているので「下問を恥じず」ということに「恥」という感覚は少ないと思います。ですが、「下問を恥じず」の真意はもっと深いところにあります。もしも、あなたが文章の書き方を習おうと思った時、A.60歳の男性で尊敬されるような地位にあるが、かれこれ20年以上も新聞も読んでいない人。とB.20歳の男性で全く尊敬されるよな地位にはないが、過去五年に渡り毎日5時間以上も読書をしている人。のどちらを先生にしようと思うでしょう。内心では、Bの人に習いたいと思いながらも、Aの人に習う。ということになってしまうのではないでしょうか。なぜなら、もし40歳の人が20歳の人に「文章の書き方」という勉強の基本を教えてもらっていたら、まわりの人はその40歳の人を馬鹿にするだろうからです。「あいつはいい年こいて20歳のぼうずに勉強を習っている」と。そして、この他人からの評価を気にする気持ちが、誤った「恥」であり、学問の敵なのです。「他人の評価を気にせず、実(実質)を取る姿勢」こそが「下問を恥じずという姿勢」であり、また『文』というおくりなにふさわしい生き方なのです。

わかりやすい論語 まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563

おまけ 英訳

Shikou asked.
Why Koubunshi's posthumous title is "Bun"?
Confusious said.
He had liked to study quickly,and not shamed asking for young people.This is a cause that his posthumous title is "Bun".

"Bun":literature,civilization,good designs and colorling