賤しい人

昨日は寝付けなかったので、岩波文庫ブッダの言葉(スッタニパータ)を読んでいた。

多くの人は頭の回転が早い人を「賢い人」と言ったりするけれど、これは厳密に言えば少し違う、こういった人は「智者であるかもしれないが、賢者とは限らない」とするのが正解である。

というのも、智者はその頭の回転が早いことによって人を貶めたり、利己的欲求を実現する可能性もあるのだけど、賢者はそういったことをしない。なぜなら、そういったことをすれば、自分に全て跳ね返ってくることを知っているのが賢者だからである。

つまり、賢者とは道理を正しく知る人であって、決して頭の回転が早いだけの人ではない。

また、賢者は当たり前のことを当たり前に説明する人であるとも言える。例えば、このタイトルにもある「賤しい人」がどんな人なのか、すぐに説明できる人などほとんどいないだろう。われわれ凡人にとってみれば、「あ〜と、え〜と、○○みたいなやつ、これが賤しい人だ」と言うのが精一杯なのである。


では、岩波文庫ブッダの言葉(スッタニパータ)から、賢者の回答を見てみよう。


怒りやすくて恨みをいただき、邪悪にして、見せかけてあざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、彼を賤しい人であると知れ。

一度生まれるものでも二度生まれるものでも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみのない人、彼を賤しい人であると知れ。

村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、彼を賤しい人であると知れ。

村にあっても林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗みの心をもって取る人、彼を賤しい人であると知れ。

実際には負債があるのに、返済されるように督促がされると、「あなたからの負債はない」といって言い逃れる人、彼を賤しい人であると知れ。

実に僅かの物が欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人、彼を賤しい人であると知れ。

証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人、彼を賤しい人であると知れ。

或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族又は友人の妻と交わる人、彼を賤しい人であると知れ。

己は財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、彼を賤しい人であると知れ。

母、父、兄弟、姉妹、或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、彼を賤しい人であると知れ。

相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、彼を賤しい人であると知れ。

悪事を行っておきながら、「誰もわたしのしたことを知らないように」と望み、隠し事をする人、彼を賤しい人であると知れ。

他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、彼を賤しい人であると知れ。

バラモンまたは道の人、または他のもの乞う人を嘘をついて騙す人、彼を賤しい人であると知れ。

食事の時が来たのに、バラモンまたは道の人をことばで罵り食を与えない人、彼を賤しい人であると知れ。

この世で迷妄に覆われ、僅かの物が欲しくて、事実でないことを語る人、彼を賤しい人であると知れ。

自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賤しい人であると知れ。

ひとを悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、彼を賤しい人であると知れ。

目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家在家のその弟子をそしる人、彼を賤しい人であると知れ。

実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬されるべき人であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、彼を賤しい人であると知れ。

わたくしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に賤しい人と呼ばれる。

生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

引用は以上


ここまで読んだ賢明な方には、さらに、賢くなるための秘訣を知って頂くことができよう。

この本の翻訳者は、中村元という方で、知っている人は知っていると思うけれど、この方は相当にすごい。というのも、岩波文庫に仏教の翻訳書がたくさんあることは、まあ、専門だからわかるとして、『中論』の解説本である『龍樹』を読むと、この方が、西洋の哲学者、ほとんど全てに精通していることが分かるのである。残した翻訳書の数や、研究の成果を考えれば、十分に「尊敬されるべき人」として間違いないであろう。

しかし、これが本当に尊敬されるべき人なのであろう。

というのも、「実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬されるべき人であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、彼を賤しい人であると知れ。」の部分に関する巻末の註釈を読んでみると、このように書かれているのである。

「尊敬されるに値しない人が尊敬されているのは、盗人だと言うのである。実に厳しい教えである。」

もう一度強調しよう。

「実に厳しい教えである」

これが、自分以外の誰に向けた言葉であろうか。尊敬されるべき人でありながら、なお、自分は尊敬されるべき人ではないとするその姿勢、これに感嘆せずして、何に感嘆するのか。

易経にはこのようにある。

「天道は盈を欠きて謙に益し、地道は盈を変じて謙に流き、鬼神は盈を害して謙に福し、人道は盈を悪みて謙を好む。謙は尊くして光あり、卑(ひく)けれども踰ゆべからず。君子の終わりなり。」

満ちたるものは欠け、欠けたるものは満ちる、欠けていることこそ、満ちるための条件なのだ。