111.荀子 現代語訳 君道第十二 七章

七章

 人の主たる者は、強くなりたいと思って弱いことを嫌がり、安全になりたいと思って危険を嫌がり、栄えたいと思って辱めを嫌がらないということはない。これは、聖王たる禹と暴君の桀とでも同じことなのである。この三つの欲するものを求めてこの三つの嫌がるものを避けるのには、どういった道を辿るとよいのだろうか。

 答えて曰く、宰相を取ることを慎むことが重要であり、道としてこれほどの短距離となる道はない。だから、知者であったとしても不仁者であれば不可であり、仁者であっても不知者であったら不可であり、既に知にして仁なる人こそが、人の主たる者の宝なのであり、王覇の補佐と言うべき人なのである。こういったわけで、宰相を得ることに努めないなら、それは不智というものである。その人を得ても用いないら、それは不仁というものである。その人もいないのに、功績があがることばかりを願うならば、愚かであることこれより大なることはない。

 今の人の主には、大きな患いがある。賢者に事を任せておいて不肖者とともにその事について謀議して評価し、知者に事の計画を考えさせておいて愚者とともにそのことについて議論し、身の修まっている人に事を行わせておいて汚れた邪悪の人とともにそれを疑う、成功しようとしてもその願いがかなうはずなどない。

 これを例えてみれば、真っ直ぐな木を立てておいてその影だけ曲がっていることを求めるようなもので、迷うことこれより大なることはない。ことわざに「美人は不細工の災いで、公正の人は凡人の邪魔である」とあるけれど、道に従っている人こそが、汚れた邪悪な人からすると一番の賊なのである。今、汚れた邪悪な人によって、その人の怨んでいる賊のことを議論させておいて、どうして偏らないといことができるだろうか。これを例えるならば、真っ直ぐな木を立てておいてその影だけ曲がっていることを求めるようなもので、乱れることこれより大なることはないのである。

 だから、昔の人はこのようなことはしなかった。その人を取るのには一定の道筋があって、その人を用いるのにも一定の法則があった。その人を取るための道筋とはこの人に来てもらうために礼を用いることで、その人を用いるための法則とはこの人を害することができないように等位を用いることである。

 そうして、この人の普段の行いを礼によってのみ評価して、この人の智慮と取捨については成就したことによってのみ考えて、時間の経過に伴って前後での効果の違いについてのみ比べてみる。

 そうすれば、賤しい人が尊い人の上に立つことがなく、位の軽い輩が位の重い人の権限を奪うことができず、愚者が知者に悪だくみをすることができないのである。このようにしておけば、万の行動を起こしても失敗することがなくなるのである。

 だから、この人のことを他の人と比べるときには礼の尺度を用いて敬に安んずることがきているかどうかを観察し、この人と多くのことをともに行って機転があって変化に応じることができているかどうかを観察し、この人と安らかに時を過ごしてみて悪に流れ盗みに走ることがないかを観察し、この人に接するのに声色権利忿怒患険を用いて守りどころから離れないことを観察するのである。

 彼の誠にこれがある人と、誠にこれがない人とでは、白と黒のように簡単に見分けることができるであろう。ごまかして隠すことなどできるはずがない。だから、馬を見分ける名人である伯楽を欺くのに馬を使うことなどできるはずもなく、君子を欺くのに人を使うことなどはできるはずがないのである。これが明君の道というものである。

 人の主たる者が、弓を射るのが上手で遠い小さい的にでも矢を当てることができる人を得たいと思うのならば、貴い爵位と重い報償を用意してこの人を招致し、内では子弟にえこひいきすることはなく、外では遠い所の人でも探し出して、本当に弓がうまくて的に当てるのがうまい人を取るのである。どうしてこれが、こういった人を求める道に適っていないということができるだろうか。聖人であってもこの道理を変化させることはできない。

 また、馬を御することが上手で車を速く動かして遠くまで到着できるような人を得たいと思うならば、貴い爵位と重い報償を用意してこの人を招致し、内では子弟にえこひいきすることはなく、外では遠い所の人でも探し出して、本当に馬車の目的を達することができる人を取るのである。どうしてこれが、こういった人を求める道に適っていないということができるだろうか。聖人であってもこの道理を変化させることはできない。

 では、国を治めて民衆を制御して上下を調整して一つにしたいと思いながら、そういったことのできる人を求めないで、内は城を固めて外は災難を防ぐだけということであるならば、運よく治まっているときは人を制することができて人から制せられるということはないのだろうけど、一度乱れが訪れれば危辱滅亡が立ちどころにして訪れることとなるだろう。

 そうであるのに、宰相や補佐や大臣を求めるときにこのような公の目的をしっかりと達する人でなくて、口先だけは上手に自分に親しんでひいきしてもらおうという輩ばかりを用いる。これの過ちを犯していること、なんと甚だしいことであろうか。だから、お社を守っている者は、強くありたいと思いながらも急に弱くなり、安全でいたいと思いながらも急に危険に陥り、存立したいと思いながらも亡ぶこととなるのである。昔は万国もの国があったのに、今は十数国しかないことには他の理由などない。それはつまり、まさにここに示したような重要なことについて失敗しているからである。

 だから、明君たる者は、人に個人的に親しもうと思って貴重品や宝石を贈ることはあっても、人に個人的に親しもうと思って官職や役目を贈るようなことはない。これはどうしてか。

 答えて曰く、このようにしないと、根本的にその相手の人にとっても自分自身にとっても不利益しか生み出さないからである。その人が能力のない人であるのに主がこの人を使えばこれは主が目暗であるということであり、臣下が能力の無い人であるのに能力があるように見せかけるならばこれは臣下の偽りというものである。主が上で目暗で居て、臣も下で偽りをするのならば、滅亡までの時間も短くお互いに害する道というものである。

 かの文王は、親戚がないというわけでなく、子弟がないというわけでなく、口先だけの人が居なかったというわけではなかったのだけど、ためらう様子もなく船人であった太公望を抜擢してこれを用いたのである。どうして個人的に親しもうとしただけと言えるだろうか。親戚であったとでも言うのか。周は姫性であるのに、彼は姜性である。古くからの知り合いであったとで言うのか。お互いにそれまで面識などなかったのである。それともきちがいじみた好色であったとでも言うのか。彼はもう既に七十二歳で歯が抜け落ちていたのである。

 そうであるのに、この太公望を用いたのは、文王が、貴道を立てて貴名を明らかにして天下に恵みを施そうとしてもそれが一人ではできず、この先生でなければこれを実行することができないということで、この先生を抜擢して用いたのである。このようにしたからこそ、貴道を立てて貴名を明らかにすることができて、天下を兼ねて全て制して七十一国を立てて自分の親戚である姫性の王が五十三人居ることになったのである。周の子孫でいやしくも精神が狂っていなかったら皆が皆、諸侯となることができたのである。このようなことができたのは、人をしっかりと愛することができたからに他ならない。

 この故に、天下の大道を実行して天下の大功を立てて、そうした後で愛するべきことを保護して、さらにその下の者すらもさらに天下の大諸侯とするのに十分だったのである。だから、明君だけがその愛する所を愛することができて、暗君は必ず自分の愛する所すらも危険にさらしてしまうのだ。とはこのことを言っているのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■観察し、の所は、確かに観察するべきことの要所を得ていると思うけど、これができる人はほとんどいない。居ても万が一とかのレベルだと思う。だけど、その前の所の客観的評価を用いる箇所に関しては、現実的で有用であると思う。観察するべきことの箇所も、その後でじっくりとということなら分からないでもない。

■時代はかなり変わったけれど、いつの時代も、公私混同というのはあったということだろう。翻訳では個人的に親しくすると訳しておいたのだけど、そこは全部、「私する」となっている。凡そ、公私混同は愛着から生まれ、愛着は無明から生まれ、無明は無知から生まれる。しかもこの無知でもって、公と私の区別をしようとし、公正なる判断をしようとし、学び求めたことすらない正を知っていると思いこむのが人間であるのだ。こういったわけで、ものごとがうまく行くことは難しい。そして、荀子の理論の弱点は、まさに君主にこういった難しいことを求めることであると言える。人の智恵を見抜く知恵こそが、この世の中でも最も重要な智恵なのかもしれない。それは学ぶことにおいても同様であるのだから。