渋沢栄一の功績と富国三傑について

新渡戸稲造の武士道を読んでいて、改めて渋沢が日本に寄与した功績が大きいことに気がついた。

というのも、今でこそ、資本家層(商売人の親玉)は、ただそれだけで、つまり中身がなくても、名士として世間で認知されるのであるが、当時は、商売を営んでいる以上、どれだけ儲けようが賤業者でしかなかった。なぜなら、士農工商として、最も身分の卑しい者として制定されていたし、皆がそう思っていたからである。

さらに、こういったことも相まって、当時の日本の商人は、外国商人からも非難轟々をくらうほど、モラルが無かったようである。これは武士道にも書かれている。

また、歴史民俗学的に見ても、「庄屋」という存在が、いろいろな地域において悪者として定着していること、また、時代劇でも「越後屋」というと、悪の代表格として何ら抵抗なく通ることからも、いかに商売という職業が賤業であったか、簡単に察しがつく。

さらに言うなれば、「庄屋」は真っ当な商売をするだけで、地位域住民から慕われる存在となれたし、越後屋は何も悪いことをしていなくて、むしろ、値札制度、つまり、相手を見ないで値段を決める、という、かなり真っ当な商売のシステムを取り入れて儲けを成した先駆的な商売人であった。

こういったわけであるから、当時の商売人というのは、かなり偏見の目で見られていたわけであり、商売をするということは、世間の嫌われ者になるということを自ら受けるようなものであった。さらに、ほとんどの、日本の商売人は、事実、人々から賤しまれるような卑怯なことをしていたわけである。

このような状況の中で、渋沢は、最上流で誰からも羨まれるような大蔵省勤めから、一気にこういった賤業の世界に飛び込んだわけである。近辺の人は、この渋沢の行動を、「飛び込んだ」でなくて「身を落とした」としか受け止めなかっただろう。

しかし、渋沢のすごいところは、この状況下の中で、「道徳経済合一説」といった、商売の中でも論語の精神をそのまま用いるという、当時としては全く訳の分からない理論によって商売をし通したことである。また、この上で、日本での銀行システムや株式システム、その他、産業の基幹となる部分を作ることに大きく関わったのである。

しかも、これだけではない。ここがさらに凄いところなのだけど、武士道に書かれているような日本の卑怯な商売のやり方をすっかりなくし、真っ当な商売のやり方を皆に押し広めたのである。この証拠として、移民した日系人が、世界各国のどの地域でも信頼されているということを挙げることができよう。

渋沢が居なかったら、そして、論語が無かったら、今頃日本は、韓○や中○のような商売のやり方をしていたかもしれない。

こういったわけで、私は、渋沢栄一の墓には足を向けて寝れないほどの恩義が、日本人にはあるものと考えている。

ところで、私としては、維新三傑だけでなくて、富国三傑というのも提唱したい。

当然そのなかには、ここで紹介した渋沢栄一が挙げられるのであるが、後の二人は、福沢諭吉伊藤博文ということにしたいと思う。

渋沢栄一が日本の経済を、福沢諭吉が日本の学問を、伊藤博文が日本の政治を、富国するに相応しいものとするのに、かなり大きな割合で関わっていることは間違いないように思う。もちろん、ここには名前が出ていないものの、無名の士君子も数多く居たことと思う。そういった人々に対して、時に感謝や畏敬の念を浮かべることは、日本人にとって重要なことであると思う。