日本の企業形態は間接民主制の封建制度

本来なら、ここで企業とは何か、とか、本来誰の所有物であるのか?ということについても詳しい論考をしないとならないのだけど、それは別の機会に譲ろうと思う。(簡単に説明すると、1.企業とは、利益追求法人(法人とは生身の人でないけれど人の人格を法律的に与えられた存在)であり、2.株主によって所有され、3.社会においては、雇用を創出して、物流を担い、人の欲求を貨幣という潤滑剤を用いることによって円滑にするという役割を持つ)

また、「日本の」とタイトルでも区切っているように、このことについて、本来は、海外との比較検討をしなければならないことは明白である。しかし、このことについて海外ではどうなのか?ということは、私の情報力では確証を持って意見を述べることができない。けれど、比較的に、これは日本特有のことと思う。

その第一の理由として、「日本が最も最後まで残った最も純粋な封建制度の国」であることがある。これは、新渡戸稲造の「武士道」に書かれていることなのだけど、言われてみて、「確かにそうだなぁ」と思ったのである。

ところで、封建制度とは何なのか、ということについて、簡単に説明すると、

まず天皇がいる。これは、国の統合の象徴であり、日本国そのものであり、大義名分の出るところであり、日本自体の所有者である。しかし、この象徴は政治を執り行わない。なぜなら、天皇は、大義名分の出るところであっても、このことは政治的権力を有していることとは別のことであるからである。

だから、権力や武力を持っている将軍が、天皇に「頼まれる形」で、政治を取り仕切ることになる。しかし、この将軍も日本全土を所有しているわけではない。もしも、将軍が日本国全土を所有してしまえば、天皇に並ぶことになり、これでは大義名分が立たないからである。だから、将軍が所有している土地というのも、日本全土でなくて限られた土地なのである。

こういったわけであるから、将軍が所有していないその他の余った土地は、将軍以外の、天皇から直接に頼まれた人(大名)が所有することになる。

このように、大名が土地に封ぜられることによって国が建てられるから、こういった制度は封建制度といわれる。

だから、封建制度において、大名と将軍は「頼まれて封ぜられ国を建てた人」という、本来ならば同列の人なのである。

では、どうして将軍だけは、大名でなくて将軍という別の名で呼ばれるか?というと、将軍は強いからである。大名の中で頭ひとつ出て一番強く、他の大名は、将軍を中心として天皇に仕えるのである。だから、将軍は大名のリーダーといえる。

また、封建制の特色として、世襲制であることが挙げられる。

あくまで、大名などは、天皇をお守りしたから土地を任せられているのである。しかし、天皇をお守りしなければならないような状況は、乱れた状態なのであって、これは戦乱の状態と言われる。しかし、戦乱の状態は、あってほしくないものである。よって、一度封建したのなら、天皇としてもそのままの状態で少しでも長く任せておきたいし、大名としても長く任せられたいわけである。だから、この大名という地位、言葉を変えると土地監督権はお互いの利益を汲み取って、世襲制となることになる。

実は、このように長く封建制度について語ってきたのだけど、これは、世襲制がどうしてあるのか?ということを明らかにするためであった。そして、明治維新のころ、このような世襲制が、社会の大勢を占めていた地域は世界でも珍しく、日本とドイツくらいだけであったのである。他の国は、過酷な自然環境や外敵への対応、また、列強の植民地支配、などによって、純粋な封建制度とそれに含まれる土地監督権と利益監督権の世襲制を維持できなかったのである。

こういったわけであるから、日本は、現在においても、封建制度世襲制の名残や呪縛を最も色濃く残す国として、何ら問題はないと思う。そして、この封建制度の影響は、少なからぬ形で現在の社会に影響を及ぼしているのである。

それを具体的に示すと、1.「政治における間接民主制の日本形態」と、2.「金融における会社の世襲相続」及び3.「株式銀行保有制度」である。

間接民主制(現在の代議士制度)が、封建制度とかなり似通っていることに気がついていただきたい。日本の所有者は、現在、憲法によって日本国民ということになっている。正確には、所有しているというより主権を有しているのが日本国民である。

そして、この主権を有する日本国民が、選挙を通して、土地監督権を代議士(政治家)に任すことになる。だから、政治家は、任す人が天皇から民衆になっただけで、ある意味昔の大名と全く同じ立場である。

しかし、現在は江戸時代ではない。政治家というのは、主権者を守るためでなくて、主権者の生活をより良くするために選挙を通して選出されるのであり、こういった意味で、本来ならば、世襲の正当性は一切ないはずである。だが、皆さんご存知のように、日本では政治の世襲は慣行となっている。アメリカでは、100年前でも、あのワシントンの子孫ですら、大して取り沙汰されなかったらしいから(渋沢栄一論語と算盤より)、こういった現象には、少なからず日本特有の「封建制度の名残と呪縛」がある。と私は考えるのである。

また、これは企業でも同じ事が言える。

日本の株式会社は、ほとんどが大株主として銀行を抱えている。ところで、銀行とは、簡単にいえば、お金を集めて、その集めたお金、我々からすれば預けたお金を、預け主であるわれわれには無断で、どこかに貸してしまう機関である。

どういったことかというと、まず、銀行とは、「預金者(所有者である民衆)から、お金を預けていただいている機関」なのである。これも、封建制度や間接民主制と関係が深いことに気がついていただきたい。本来の資金の所有者から、「資金監督権を任せられている」のが銀行であるのだ。

そして、この銀行がこの任せている人たちの代表として融資を行い、そうすることによって、そのお金を増やしたり、管理したりするのである。つまり、間接的に資産の運用方法を決めているのが銀行なのである。だから、タイトルに日本の企業形態は間接民主制の封建制度とした。つまり、こと資金面に関しては、銀行が大名や政治家のような役目を担っているのである。

すると、銀行の資金監督権が世襲されるのか?ということになるが、これが無条件でまかり通れば、預金者の方が銀行を信用しないから、銀行は融資を受ける企業の方にを世襲させ、そうすることによって利益を確固たるものにしようとするわけである。

こういったわけで、企業形態や政治形態に、大きな影響と呪縛を与えている封建制度の名残は、現代の日本社会に、かすかではあるけど無視できない形で残っているのである。この名残と呪縛が、果たして良いものであるか、悪いものであるのか、ということは明言することはできなけれど、少なくとも日本の社会システムの根底に、この封建制度があることは間違いないと思う。

ここまで読むと、銀行に資金を預けることは、駄目なことのように感じるかもしれない。けれど、資金を安心して銀行に運用させていれば、少なくともそのことについて心配する必要がなくなる。逆に言えば、もしも、どこかの会社の株を保有していれば、その会社の経営は大丈夫なのかと考えなければならなくなる。こういったわけで、大量の資産を持っていても、そのことを考えなくて良くなる。すると、他のことについて考える余裕ができる。こういったわけで、日本の高度経済成長の裏側には、銀行の信用の高さがあったことは間違いないと思う。サラリーマンは、資金は銀行に預けて、家は妻に預けて、そうして仕事に打ち込めたからである。だが、こういった無責任によって生じたひずみが、国債の残高増加という形で現在に出ているのかもしれない。